偕楽園の歴史
偕楽園は、修行の余暇を利用した休養施設として開園された公園
金沢「兼六園」岡山「後楽園」と共に日本三名園にかぞえられる。
水戸藩主 徳川斉昭が文武修行の場として開いた「弘道館」に対して、娯楽の場として造営した。
【偕楽園の歴史】
1841年(天保12年)4月
着工 数千株の梅が植えられた
(現在、3,000本)
1842年7月1日
徳川斉昭により開園
1842年7月27日
公開 ただし入園には規定(性別、身分などのよる規制)があり自由に入園できるわけではなかった
1873年
一般公園「常磐公園」となる
1957年
茨城県が条例で「偕楽園」に名称変更
現在に至る
梅桜橋で常磐線を跨ぐと、そこからが偕楽園本体
「偕楽園」の立て札があったので、きっとそうだ。
どこからどこまでが偕楽園の敷地なのかはよくわからないが「るるぶ茨城'17」の偕楽園マップでは、常磐線から北側が紹介されている。
南門をくぐり、階段を上り「見晴らし広場」へ
ここから、今朝走ってきた千波湖を臨む
しかし「見晴らし」を謳う割に、パノラマ感はさほどでもない。
東門を出る前に「見晴亭」をのぞく
観光情報の提供、特産品の販売の複合施設。
水戸に来て初めてのぞくお土産屋。
事前にガイドブックで見てきたものと、脳内で照合しながら棚を流す。
買い物はまだ先でもよさそうだ。
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