日本人をさらに忙殺する「過剰説明社会」
なぜ、こんな世の中になったのか?
元凶(げんきょう)は「説明責任」ということばが、日本で定着したことにある。
時期で言えば、この言葉を野党民主党が流行らせた2006年頃からだ。
いわゆる「説明責任社会」の始まりである。
・最も理解力が低い人
・説明しても聞く耳を持たない人
・学ばず、関心がない人
・関心はなかったくせに、後で当事者になると「聞いてない」と文句をつける人
こういう人を基準にして、言葉を尽くしておかないと、後から「説明不足だ」「説明責任を果たせ」と言われてしまう。
一旦、クレームになると、自らに何の非がなくても、その火消しには多大な時間を奪われる。
そして、風評により被害を受ける。
一度喧伝された悪評はネットワークを通じて瞬時に世界を駈け、それを取り消すことは永遠にできない。
風評被害のリスクを回避するため、組織は「過剰説明責任」を果たすことに執心してしまう。
20文字程度の言葉で済む基本的説明とは別に、レアケースを想定した説明が200文字くらい添えられる。
「親切過ぎる」のは悪くないが「丁寧すぎる」のはよくない。
過剰に説明する方は、それで責任が果たせてよいだろう。
だが、それを聞く方はたまったものではない。
「ラスト1マイル」という言葉がある。
「目標達成まであとわずかのところに待ちかまえる難題」という意味で、コンピュータープログラムの話しである。
コンピューターシステムには、あらゆる例外を想定したプログラムが盛り込まれている必要がある。
ユーザーが不規則(イレギュラー)処理をする度にエラーが起きていては、サービスが滞るからだ。
しかし、日常、人が人に何かを伝える場面では「ラスト1マイル」は要らない。
「例外の難題」を聞かされるのはうんざりだ。
問題は今、目の前で解決したのである。
「他にお困りのことはありませんか」
あるわけないだろ!
「また何かありましたら、何なりとお申し付けください」
言われなくてもそうする
アマチュアはものごを複雑にする。
プロこそがものごとをシンプルにできる。
説明のアマチュアによる「ばか丁寧」な「親切の押し売り」は要らないのである。
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