東大和町に横断幕なし
マラソンのエイドでいつも不思議に思うのだが、走りながらコップを取る人がほとんどいない。
たいていの人が「歩き寄り」テーブルからコップを掴む。
そこへ駆け寄ってコップをかっさらうのは罪悪感すらある。
テーブルと人1人分の距離を置いて並走しながら、ここだというところでサイドステップを踏みコップに指を入れてはさみ、一気に斜め右へ出る。
従って、エイドの後、走路の右側にもゴミ箱が置いてある大会はとても助かる。
左側にしかゴミ箱がない場合、前方視界から最後のゴミ箱を視認して、再びコース左端に寄らなければならない。
国道9号線には戻らず、そのまま海辺を走って行くと、今朝出発した「海峡ゆめタワー」が見えてきた。
ここもオールスポーツの撮影ポイント。
背景にタワーが入った写真が数枚撮られていた。
だが、1996年に建ったばかりのこのタワーに、僕は思い入れがない。
下関らしい場所といえば「関門橋」と「下関駅東口」
ただし後者は2006年1月7日、放火により全焼しており、今その面影はない。
かつてこのあたりは海だった場所だ。
子どもの頃、親戚に遊びに来ると、目の前は海で、ぷかぷかと浮かんでいるクラゲを見てクラゲダール(仮面ライダーの怪人)を思い出して気味悪かった。
やがて海が埋め立てられて、そこに関釜フェリーのターミナルができた。
「下関」と「釜山」を結ぶから関釜フェリー。
子どもの頃「かんぷうフェリー」と呼んでいたが、今「ATOK2017」に「それは"かんぷ"と読むんだよ」と教わった。
僕らが子どもの頃、世の中のほとんどは曖昧で、確かめようにも誰に聞けばいいかすらわからなかった。
今はこうして「Google先生」や「ATOK」という師匠が身近にいる。
世の中の知識はいつでも(ほぼ)正確で、行動もそれなりに的確になっていく。
下関駅すぐそばの東大和町は古くからの中心地。
あまり人が住んでいないのか、それとも住人が根こそぎボランティアに駆り出されたのか、沿道の応援は少なくひっそりとしている。
僕の親戚もこの先のエイドで働いており、横断幕を掲げて応援してくれる人は誰もいない。
東大和町から下関港第一突堤へ左折
このあたりには一度も足を踏み入れたことがない。
というよりも、ここから先長州出島までの後半コースには足を踏み入れたことがない。
なじみの深いコースにお別れ「試練の部」に入っていく。
いよいよここから、下関海響マラソンが「記録より、記憶に残る、海響のドラマ」と謳う理由をいやと言うほど思い知らされることになる。
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