インスタ映えしない「ふく鍋」を食べながら想うこと
生まれて初めて「ふぐ」を見たのは、上五島に引っ越してすぐの頃だ。
通学で海辺を歩いていると、すぐそこに無数の彼らが泳いでいた。
釣り糸を垂れると、餌がなくても彼らは針にかかる
釣り上げられるとはぶーたれたようにぷーっと膨らむ
でも食べられない(周りの学友がそう言っていた)
友達の誰もが、ふぐが針にかかると即座に海に投げ返していた。
食べられるのは五島で言う「かっとっぽ」ハコフグだ。
時々、通学路にある魚屋のいけすで泳いでいた。
とても美味しいという噂で値段も高いらしいが、四角張ったこの妙な顔をみて、食べられる代物だとは思えなかった。
それが今、さかなクンが被っている帽子のモデル。
なんだか、一度食べたくなってきた・・
ふぐは釣りの邪魔者
その記憶が脳に沈んでいるせいで、僕のなかでふぐのバリューはとても低い
大人になって、親友が「ふぐ!ふぐ!」と言っている気持ちがわからない。
だから、今ここで「ふく鍋」に並ぶ価値を見いだすために、自問自答する。
着替える必要はないし、荷物を受け取る必要もない
こんなレースができるのはココだけだ
せっかくだから、もう少しマラソンイベントの空気に名残を惜しむのも悪くない
インスタはやっていないが、下関海響マラソンらしい「ふく鍋」の写真を一枚押さえて、ブログに載せるのもいい。
それに、いったいこの行列を何分待てば「ふく鍋」にたどり着けるのかも知りたい。
子どもの頃から統計が大好きだった。
目の前に課題を見つけると、なんでもデータを取りたがるのが僕の悪い癖。
待つこと15分、僕のふく鍋ができた。
プラ丼と割り箸を受け取り、キョロキョロとあたりを見回して座れる所を探したが、依然としてそばには座れる場所がない。さすがに箸の食べ物を立ち食いというのは落ち着かない。
平坦な場所はどこもぎっしり人で埋まっていたが、アーチ橋の上にちょうど1人分座れるスペースを見つけ、地べたに腰掛ける。さすがにレース後のべた座りはきついが、勾配がついているので、なんとかカラダを支えることができる。
多いな・・
容器いっぱいに浸された汁
十分な量がある
レース中、5kmごとにジェルを摂っていたため、レースを終えた今、空腹感は皆無。
さらにここで、夕飯が「とんかつ」であることを思い出した。
しまった・・
しかし、今さらふく鍋に並んだことを後悔しても遅い
汁を一のみ
ふく鍋を食べたことがないので、これが及第点なのかはわからない
箸で具をさらうとふくがかかった。
おぉ、入ってるじゃん!
(当たり前だろっ)
浜辺で漁師が、たった今水揚げしたばかりのふぐを鍋にした(しないと思うけど)けれど、調味料を切らしていて、素材の味だけで勝負しましたという一品。
そして、あつあつ
もしも、今日のレースが最高気温6度の中で行われていたならば、あちこちからランナーの「しみる~」「生き返るぅ」「ふく鍋サイコ~」という叫びが聞かれたことだろう。
できれば、29.1kmの長州出島でスルーした「菊川そうめん」をここで出して欲しい。
「ふく鍋」と「菊川そうめん」を並べて食べたら幸せな気分になりそうだ。
「ふく鍋」に「菊川そうめん」を入れたりして・・
静岡マラソンの「静岡おでん」といい、名物の食事をエイドで出すことには賛同できない。
僕らはマラソン競技に来ているのであって、ピクニックに来ているのではない。
レース中、おでんやそうめんに5分も10分も並ぶ。それがスポーツだとは思えない。
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