40年ぶり この夏、五島に行くことにした
この夏五島に行くことにした
榎津の桟橋でヒフミちゃんに見送られてから、40年が過ぎた。
その日、僕は4年間を過ごした「上五島」を離れ、父の次の勤務地である「佐世保」へと航海を始めるところだった。
4年を過ごした五島に後悔はない。
むしろ、物心ついてからは初めて住むことになる、生誕の地佐世保への期待に胸膨らませていた。
二等船室の場所取りは母がしている。
僕は鯨波丸の甲板に出て、最後の五島を目に焼き付けていた。
始めのうちは、辛いことばかりだったな
ようやく、それも乗り越えたけど
きっと、もう来ることはないだろうな・・
当時、ウォークマンはまだなかったが、僕の脳内には井上陽水「冷たい部屋の世界地図」のイントロが流れ始めていた。
一度、聴いていただけるとわかるが、この曲ほど一人きりの航海に適した曲を他に知らない。
魚目中の先生がLPを借してくれた「陽水IIセンチメンタル」A面の1曲目に収録されていたこの曲は、僕が鯨波丸に乗る旅の相棒だった。
すると、想定外の嬌声がイントロを遮った
「せぇの、もと~っ!」
桟橋を見下ろすと、そこには同じ組のヒフミちゃんともう1人(誰だったか忘れた)
制服を着ているので、すぐにそうとわかった。
父は上五島高校で教鞭を執っていた。
当時、教諭の子どもは級友にお別れを言う機会がなかった。
それは異動人事の公表が、学校が春休みに入った後になるからだ。
終業式の段階で転校がわかっていれば、級友を前に一席ぶつところだが、二度の転校で一度もその機会はなかった。
ヒフミちゃんとは大の仲良し
というわけではなく、ほとんど口を利くこともなかった。
恐らく、誰か知り合いを見送りに来て、偶然僕を見つけたのだろう。
もしかすると、僕が鯨波丸に乗っているのを見て「春休みを利用して佐世保に遊びに行く」と思ったかも知れない。
いや、それにしてはなぜ級友と2人?
こう書いていて、疑問が湧いてきた
40年経った今となっては確認のしようもないが、確認するつもりもない。
つづく
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