まさか、この歳で論文を書くとは想っていなかった
権田さんの指導によりMIND-SAを学んでから1年半が過ぎた頃、僕は先輩の勧めにより「企業論文」なるものを書いていた。
歳がいってから始めた「プログラム」は相変わらず不得手だったが、人と会って分析して決めて作るという「SE」の流れは、長く「営業」だった僕にはシームレスに入れる仕事。
MIND-SAの基本を得たことで、なんとか「なんちゃってSE」気取りができるようになった頃「そろそろ書いてみては?」と勧められたのだ。
これまでの生涯では「日記」に始まり「作文」「詩」「卒業論文」「レポート」といろいろな文章を書いて来た。
小学校に入学する数日前、母が僕の机に一冊のノートを置いた。
メーカーは「セイカ」だったと思う。
表紙には「日記帳」とあった。
今日からこれを毎日書きなさい
「あんたは素直さが足りない」
と何度、母から怒られたかわからない僕が、なぜこの指示に素直に従ったのかを思い出せない。
今となってはそこでどんなやりとりがあったのか、浄土の母に聞くことも叶わない。
最近、親が存命の人に「子どもの頃の自分について、聞けるのは今のうちだよ」と進言している。
17歳の自分が何に熱中していたか?
虐められて帰った日、僕はどんな様子だったか?
ききたいことは、ふとした時に現れる。
「自分が覚えていない自分」を知っているのは、同居していた親族だけなのである。
僕は小学校6年間、母の言いつけを守り日記を書き続けた。
と何度、母から怒られたかわからない僕が、なぜこの指示に素直に従ったのかを思い出せない。
今となってはそこでどんなやりとりがあったのか、浄土の母に聞くことも叶わない。
最近、親が存命の人に「子どもの頃の自分について、聞けるのは今のうちだよ」と進言している。
17歳の自分が何に熱中していたか?
虐められて帰った日、僕はどんな様子だったか?
ききたいことは、ふとした時に現れる。
「自分が覚えていない自分」を知っているのは、同居していた親族だけなのである。
僕は小学校6年間、母の言いつけを守り日記を書き続けた。
そのお陰で「なにか書いて」と言われ、負担に感じたことはない。
だが、学者でもない社会人が「論文」を書くことになるとは思っていない。
論文は学生の「卒論」だけで卒業だと思っていた。
論文とは
「はじめに」で始まり、「おわりに」で終わる作文
(しらべるの定義)
既にいくつかの企業論文を書き終えた今となっては、気軽にこんな定義ができるのだが、当時「型式」「章立て」「使用禁止文字」など様々な制約に慣れない僕は、遅々として筆(指)が進まず苦しんでいた。
論文と呼べる条件は次の通り。
■起承転結をつけるか筋立てがしっかりしている。
■根拠を示す。「**という声がある」というような表現はダメ。
■事例の発表か、具体的な提案をテーマとしていて、それが読む人に有益なものである。
従って「1年間寝る前にチョコを食べたら3キロやせました」というような事例報告だけではダメで、根拠が明らかで、それが読む人の利益につながらなければ「論文」と言えない。
といっても「論文」の体を成していない駄文でも「論文」だと言い張れば、それは「論文」として扱われるのだが。
苦しみ続けたが、なんとか出口は見えてきた。
ギブアップしようかと思ったこともあったが、品質は二の次として、なんとか「完成」に漕ぎ着けそうである。
そんな論文の提出〆切が近づいたある日、思いも掛けぬ出来事が起きた。
そして、僕はトランスコスモスに救われることになる。
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