40年振り、五島へ
40年ぶりの上五島上陸まで一週間
僕の心は憂鬱な雲に覆われていた。
旅の前はいつもこうなのかも知れないが、そういった記録をつけていないのでわからない。
次の旅のために書き残しておこう。
3泊4日の旅
手配済みなのは交通手段(飛行機とタクシーと船とレンタカー)と宿泊先、そして頭ヶ島天主堂見学の事前連絡。
それ以外には何も決まっていない
どこでご飯を食べるか、何処と何処を訪れるか。
誰かと会う予定もない。
そもそも、40数年前を最後に連絡が途絶えた級友たちと連絡を取る術がない。
もしかすると、NTTの電話帳でも繰れば、友達の名前の1人や2人出てくるのかもしれない。
中学の時同じクラスだったmotoだけど、覚えてないよねぇ
今度、あれ以来初めてそちらに往くのだけど、よかったら昔話でもどう?
電話をかけて、こんな感じで切り出せば、それほど邪険にはされないと思う。
だが、僕にはそれができない。
心の底に、友達を大事にしてこなかったこと、いや絞り込んで言えば、友達づきあいを大切にしてこなかったことが、引っ掛かっている。
今は亡き人たちに手を合わせる時も、そうした気持ちがある。
なにを今さら。
生きている時、もっと話しろよ
自分への懲罰というわけではないが、自分が懐かしむ時だけ連絡をするなんて、都合が良すぎるだろう?
それはやってはいけないんじゃないか?
歯止めがかかる。
あまり準備していないので、予定もそれほど決めていないんだけど
40年ぶりに懐かしめればいいかな
郷里の姉にそうメールを入れた
共に五島で暮らした家族はもう姉しか残っていない。
五島にはまたいつか往きたい
それは僕の中では数十年来の既定路線だった。
子どもの頃、暮らした町を訪れるというのは、転勤や転校を繰り返すことで友達を失ったことと引換に得られる「特権」のようなものだ。
懐かしい町で、昔と変わったこと、変わらないことに接して、遠き懐かしき日々に思いを馳せる。
なんと素敵なことだろう。
そういえば数年前、そろそろ五島に行きたいと切り出した時、母が目を輝かせていたのを思い出す。
僕はまだその時ではないと思っていて、その話題をそれ以上は膨らませなかった。
またひとつ、心の澱に淀んでいたものを掘り返してしまった。
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