暴走する自転車に筆記試験のみの免許制度を望む
日本の西端にある故郷の長崎と比べて、東京は日没が一時間は早い。
今日は早めに帰れたなと思っていても、駅を降りたいつもの町には、既に夕闇が迫っていて、僕は少しがっかりする。
赤いLEDの歩行者信号が闇に映えて鮮やかだ。
少し待つと、それは鮮やかな青に変わる。
僕は片側3車線、合計6車線の横断を始める。
幅の広い道路だが、渡りきるには十分な「青」の時間が担保されている。
渡っているのは、十字路の右側にある横断歩道。
前半は向かって右手に信号待ちのクルマが、停止線の前で信号が青に変わるのを待っている。
中央分離帯を過ぎた後半は、左手から来た右左折のクルマが横断歩道を通過していく。
右手からクルマが来ることはない。
少しでも歩行者が途切れると、クルマは「それ行け」とばかりに、猛然と加速して歩行者の切れ間を通り過ぎていく。
学生の頃に読んだ書籍によると、警察が取り締まる基準は「近づく歩行者5m、通り過ぎた歩行者1m」なのだという。
つまり、近づいてくる歩行者との間に5mの間隔があれば、通過してもお咎め無し。逆に5mを切っていれば、安全運転義務違反で取締の対象になる。
僕が後半にさしかかると、右左折のクルマは、横断歩道の手前で一時停止して、僕が行きすぎるのを待つ。
僕は少しペースを上げて、できるだけ早く、そこを明け渡そうと努める。
立場を変えて、自分が運転者の時「止まってしまうんじゃないか」と思うくらいの速さの歩行者にカチンとくるからだ。
僕は「ハンドルを握ると性格が変わると言われたことがある第1位(同率)」の長崎県人である。
左手で待つクルマに一瞥しながら、足早に横断歩道を渡りきろうとして、対岸の歩道まであと3mほどの所に来た時だ。
目の前を猛烈なスピードで自転車が横切った。
僕は右手から走って来る物体を想定していなかった。
僕は右手から走って来る物体を想定していなかった。
驚いて、走り去る自転車を目で追う。
おばちゃんが運転する電動自転車は、赤信号の横断歩道を直進、そこからさらに加速して90度左折、点滅し始めた歩行者信号を渡って闇に消えた。
交差点には交番があり、男性警察官が軒先に立って目視していたが、一瞬の出来事に為す術もない。しかし、もしも彼がおばちゃんを呼び止めることができたとしても「だめだよ~」と注意を与えるくらいしかできないだろう。
おばちゃんに必要なのは「教育」だ。
・車道の逆行
・横断歩道交差通過の際、歩行者の前で一時停止不履行
・横断歩道の赤信号通行
彼女は「軽車両」と「歩行者」の立場を巧みに切替ながら、ルール違反を重ねていく。
彼女は「軽車両」と「歩行者」の立場を巧みに切替ながら、ルール違反を重ねていく。
これらが、道路交通法に違反するということは彼女の頭に入っている「教本」には記されていないだろう。
いや「教本」すらなさそうだ。
いや「教本」すらなさそうだ。
では、おばちゃんは「教育」を受けてくれるだろうか。
「さわやか自転車安全運転講習」
「さわやか自転車安全運転講習」
を警察署が企画しても、そもそも関心のない情報に、彼女のアンテナは反応しそうにない。
なにごとに於いても、興味と関心の薄い講習に人を呼び込むのは容易ではない。
「教育」の機会を作るには「免許取得」「免許更新」「免許停止」という強制力を持った講習への招集が必要だ。
なにごとに於いても、興味と関心の薄い講習に人を呼び込むのは容易ではない。
「教育」の機会を作るには「免許取得」「免許更新」「免許停止」という強制力を持った講習への招集が必要だ。
まずは原付自転車同様に、実技なし筆記のみの免許制度の実現を渇望する。
| 固定リンク | 0
「自動車/交通」カテゴリの記事
- Yaeh(ヤエー)と名前がついてピースは文化になった(2023.09.27)
- 一方通行を逆走する自転車の一時停止義務が道交法から欠け落ちている(2023.01.04)
- 自転車運転者の意識が変わった 変えたのは「赤切符」取締(2023.01.03)
- 転倒したライダーの足が反対を向いていた(2022.11.18)
- RZ350とYAMAHAの銀ジャケット(2022.11.13)