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2018年11月10日 (土)

居住放棄、廃墟

「ピー」
僕が窓から顔を出して、音楽のリコーダーを吹く
すると石橋君がワイヤレスマイクのスイッチを入れる
互いにラジカセのFMラジオで予め決められた周波数で、その電波を受信する。

NHK連続テレビ小説「半分、青い」で鈴愛が律を笛で呼ぶシーンがあるが、あれを40年前に僕と石橋君はリコーダーとワイヤレスマイクでやっていたのだ。
だから「半分、青い」で初めてそのシーンを見た時は、北川悦吏子にパクられたかと思った(うそです)


ある日、僕がラジカセを抱えて一番受信がいい場所を探しながら「今日は電波のよーなかねぇ」と言っていた時、突然、電気が走り、目の前が真っ白になった。これまで生きてきてこんなことは二度しかない。一度は一時停止義務不履行のクルマに跳ねられて気絶した時。そして、もう一度がこの時だ。
「なんが、電波かっ」
振り返ると父が新品の運動靴を手に持って立っていた。子どもに運動靴を買って来たから渡そうと思ったら、その相手は勉強もせず、ラジカセを持って踊っている。かっとして、靴で頭を殴りつけたのだった。

世の中には「手を上げる父」と「手を上げない父」がいる。
そのことを知ったのは数十年後だった。子どもは父を選べない。自分の父が自分の父親像であり、その父が手を上げるならば、父親とはそういうものだと理解するのである。



石橋君の家は昔のまま、そこに建っていた。
もしかして、まだ住んでいるのでは?と思って玄関に回ってみる。
ずいぶん年老いた石橋君が怪訝そうに僕の顔をのぞきこむ。「昔近くに住んでいたmotoだけど・・覚えてないかな」すると、おぉ久しぶりやね、どげんしたと・・

この数ヶ月、そんな妄想を二三度したと思う。現実は違っていた。
表札はそのままだが、門扉が鎖でぐるぐる巻きになっていた。すべての窓は雨戸の上から板が打ち付けられ、既に誰も住まなくなってから10年以上は経過しているだろうと思われた。
もし、彼がまだここにいてくれたら、とりあえず僕がこの旅で思い描いていた「1人くらい誰か友達に会えたらいいな」はここで達成できたのだが。


再びワゴンRに乗り込み、埋め立て地ではない古くからの浦桑の町に踏み入れてみる。

当時、人気者だった女の子が住んでいた家、表札はそのままだが、ずいぶんと朽ち果てていた。居住放棄されてから10年とは言わないだろう。

僕が一番仲良くしていた原君は、一緒に役場に通って「新魚目町名字ランキング」を作った仲間。
当時、魚目町には55世帯の原さんがいた。彼もその1人。
かつて原君の家があったあたりは区画が変わっていて、その当時でも相当旧かった家屋は見当たらなかった。そのあたりに原さんという表札の家はあったが、あの原君とは限らないので、訪ねるのはよした。

僕と一緒に、僕の父から英語を習いに来ていたジャイアンの家もそのまま、そこにあったが、表札すらなく廃墟と化していた。彼は本土の大学に進んだと風の便りに聞いたが、きっと、そのまま本土のどこかに家族を呼んで暮らしているのだろう。いや、僕のようにもう両親は浄土へ発たれた後かも知れない。

僕がアワビにあたってエレファントマンのような顔になった日「そげん、おちこまんと。じきになおるよ」と励ましてくれたトモコの家は玄関の扉が開いていて、生活の息吹があった。遠目に表札をみると名字もそのまま。
しかし、今もまだここに居るとは限らないし、女子の家を訪ねるのは憚られた。

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