人の強さを教えてくれた丸尾の友達
丸尾の町を通り抜ける
浦桑に住んでいた僕にとって、丸尾と似首は学校の向こう側であり、家に遊びに出かけるような友達もいなかった。
丸尾に入ってすぐに精肉店があり、時々両親の買い物に着いてきた。子どもの頃のことなので、野菜よりは肉、魚よりは肉、とにかく肉が好きだったのだが、山口県に住んでいた頃は滅多にお目にかからなかった。それが五島に来た途端、肉の献立が増えたのは、公務員の離島手当により父の給料が増えたことによる。というのを誰から聞いたかを覚えていないが、恐らく母からなのだろう。
五島と言えば「魚が美味い」というのがステレオタイプな連想だろうが、五島に来たことで肉が食べられるようになったことは、つらい日々における一筋の光明だった。
丸尾にはただ1人、同じバレー部(ボールの方ですからね)の友達がいた。名前はユージ。授業中は寝ている僕とは違い、授業はしっかり聞いたうえで家庭学習を欠かさない彼に、僕は二年間の定期試験で一度も勝てなかった。
彼は決して体が大きくはなく、一見すると弱々しく見えたが、僕は彼を学年じゅうで一番尊敬していた。
その日、ユージはクラスのいじめを企画して主導する「いじめ軍団」に中傷を受けていた。軍団が輪になって罵詈雑言を浴びせ、周りは見て見ぬふりをする。こうなると、誰も抵抗できない。大抵は、時間が行き過ぎるのを待つばかりだ。
しかし、その時、彼はこう言い放ったのだ。
「なんちでん言え」
なんとでも言え。言いたいやつには言わせておく。言われなき非難には屈しない。という彼の強い意志を表した短い言葉。
僕はその強さに憧れた。日頃は飄々としていて、時おりおどけた冗談を言うけれど、あまりおもしろくない。でも、そんな彼の芯にある、誰にも負けない不屈の自信に初めて「人の強さ」を見たのだった。
僕が佐世保に引っ越して、高校に進んだあと、ユージとは一度だけ相浦総合グラウンドで行われた高総体(高校総合体育大会)で会う機会があった。相変わらず背が低かった。そして、友好的な相手にはただ、にこにこと笑っている、昔のままの姿がそこにあった。
その後、彼が何処へ進んだか知らない。恐らく、本土の何処かに出て、この社会で一端の役割を担っていることだろう。
その後、彼が何処へ進んだか知らない。恐らく、本土の何処かに出て、この社会で一端の役割を担っていることだろう。
似首に着く。似首(にたくび)の名前の由来は以前にも書いたのでここでは割愛する。似首には母が親同士で懇意にしていた同級生の家があるが、僕のほうは五島を出た日から年賀状一枚やりとりしていない。尋ね当てれば、恐らく邪険にはされないのだろうが、それはあまりに身勝手だと思い、似首も素通りする。
青砂ヶ浦天主堂に着く
ちょうど、タクシーをチャーターして観光に来ていたカップルが入っていくところで、それに着いて礼拝堂に入る。教会はどこも同じで館内の撮影はできない。それでも撮っている人がいるのはなぜだろう。観光に際して下調べというものをしないのかな。「るるぶ」一冊でも読むか、ホームページを見れば、そこにルールが載っているのに。
この時点で17:31
東京ならば夏場でもそろそろ日が沈み始める頃だが、日本の西端にある五島ではまだ日が高い。
この近くにある矢堅目公園では「夕日が絶景である」と「Google先生」が教えてくれたが、まだまだ日は暮れそうにないし、一人きりで夕日を見ても肩を寄せる相手も居ない。
夕日は諦めて、懐かしの町「青方」をめざすことにした。
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