泳げない僕に五島はとてもきつかった
子どもの頃、本土から転校して来た僕は「離合場所」を初めて見て、その名前を聞いた時、なんの違和感ももたなかった。
標準的な日本語を組み合わせた名詞であり、そのような場所があることは理に叶っている。
ところが、五島を離れて数十年後、割と最近になって「離合場所」が「標準語」ではないことを知った。
どうやら発端は2017年12月放送の「ブラタモリ」
その経緯は「Google先生」に尋ねていただくとして、とにかく「離合場所」は九州・山口でしか使われていない用語らしい。
離合場所のある海は、かつて堤防で仕切られた小さな湾になっていて、イルカを追い込む漁はここで行われていた。
夏場になるとこの湾の中で小中学生男子がお盆に開催される「ペーロン競争」の練習をしていた。
「だいでん、はいめっからはおよげんとぞ。ペーロンでおとされてしぬおもいいばすっけん、いやでもおよげるったい」
(誰でも初めから泳げるのではない。ペーロン練習で足の届かない海に落とされて、溺れながら死ぬ思いをしたら、嫌でも泳げるのだ)
よく、こんな調子で死人が出ないものだと、小学生の僕は思った。こんなところで死にたくない。こうして、ペーロンに乗らない僕は、上級生からいつも嫌みを言われるのだった。
離合場所のある側から堤防までは50m足らずだったと思う。
漁船が航行できる程度に深く、金槌の僕はここに泳ぎに来ることはなかった。
五島にいた間で泳いだ(海に浸かった)のは、海とロマンの人間郷「蛤」の海水浴場と、魚目中学校の水泳の授業が行われる、学校前の砂浜だけだ。魚目小学校の水泳の授業が何処で行われていたかは、全く記憶がない。
義務教育を通して、水泳の授業ほど、僕を絶望の淵に追い込んだものはない。今は大人になり、そんな絶望から解放され、こうしてかつて僕を恐怖に陥れた海の前でさえ、ノスタルジーに浸っていられる。
五島にやって来てまだ3時間ほどだが、僕の心には幸せの雪が積もり始めていた。
再び、ワゴンRを走らせて、浦桑の旧市街ともいうべき旧い町を抜ける。
かつてこの100mほどの間には2軒の雑貨屋があったが、跡形も無かった。
ここから一気に急な坂を上る
一直線で同じ斜度をもつこの坂に、特別な名前は付いていないが、僕にとっては想いで深い場所だ。
坂の麓にある中口医院は浦桑唯一の病院だった。今も入口にはその名が書かれているが、今でもやっているのか、外観からは判断できない。
後日「Google先生」に尋ねてみたところ、その病院に関する情報は見つからなかった。
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