僕の岩場
蛤の写真を撮り終えると、再びワゴンRに乗って国道384号線に戻る。このあたりの細かい道は、事前に「Google先生」に教えてもらった。先生はなんでも教えてくれる。旅の計画を立て、旅に思いを馳せる時、とてもありがたい存在だ。
ある作家の講演で、その作家先生は「ネットが普及して、人々はネットで見て行った気分になり、自分で行こうとしなくなった。由々しきことだ」と話していた。その場で聴いている時は、確かにそうだなと思った。実際にそういう人もいるだろう。だが僕は違うようだ。旅が決まってしまえば、必要以上の下調べは「ネタバレ」になるので控えるが、旅の気持ちを固めるまでは、道しるべの役割を果たしてくれる。
七名トンネルを抜けると右手前方に海が見えてきて、いよいよ懐かしの町が近づいたことがわかる。
その先にもうひとつトンネルが見えてきたが、これが新道であることを「Google先生」から教えてもらっている。
そのトンネルの手前から細い道へ右折。そこからが僕が知っている旧道だ。
道が左にカーブするところで浦桑が見えてきた。
このシーン、この瞬間を数十年、思い描いてきた。
だから、ここは写真の一枚でも撮らねばなるまい。
錆びたガードレールの手前と、遠くに見える山と港は自然にできた土地。中央に見えるまっすぐに伸びる護岸の区画が人工に埋め立てられた新しい浦桑だ。ここでは「新浦桑」と呼ぶことにする。
僕はここでどうしても確認したいことがあった。
僕の岩場はまだあるのだろうか?
かつて、僕の級友である五島の子どもたちは素潜りであわびやサザエをとった話しを自慢していた。
泳げない僕は潜ることもできないが、ただ一つ例外があった。それがウニ。当時、ウニは比較的浅い場所にいた。膝まで浸かって海に入ったところにもウニがいたのだ。
学校から帰ると僕はマイナスのドライバーを一本、自転車のカゴに放り込んでその岩場をめざす。道路から岩場まで降り、膝まで浸かった所にいるウニをドライバーでこそぎ落として捕る。
そして岩場に置いたウニをドライバーで2つに割り、黄色い部分を指ですくいすするように食べた。ウニは水のようだ。
子どもの頃から瓶詰めのうにを食べ付けていた僕は、ウニは固いものだと思っていたから、この体験は衝撃だった。
秋の波が強いある日、僕はいつものように、この岩場にやってきた。ウニはいつもより深い場所にいた。普段着の半ズボンで来ている僕は膝上まで浸かるのが限界。手を一杯まで伸ばしてウニと岩の間にドライバーを差し込もうとした時、強い波が来た。僕はとっさに踏ん張ったが、右手に持ったドライバーを離してしまった。ドライバーは光を反射しながらゆっくりと沈み、僕の腰の深さあたりで停まった。
僕はドライバーを岩場でなくしたことを、母には言わなかった。幸いDIYとは縁遠い我が家では「最近、ドライバーがないね」という話しもないまま冬が終わり、春になった。
久しぶりに岩場に来た僕にはドライバーがない。
今年のウニはどのあたりにいるのかな?
そう思って海をのぞきこむと、そこに銀色に光るものがみえた。
「あなたがなくしたのは金のドライバーですか?」
いえいえ、その鉄のドライバーです。自分で自分につっこんで僕はそれを慌てて回収した。
ひと冬の波を耐えて、その場所に留まりつづけ、干潮の今、僕の前に再び現れたドライバー。心なしか少し錆びてはいたが、僕は奇跡を観た気がした。
ガードレールから身を乗り出して真下を見下ろすと、その場所は手つかずでそこにあった。
新浦桑は完全に埋め立ててしまったのではなく、本来の海岸線はそのまま「川」として残しているようだ。
岩場まで降りてみようとは思わなかった。
そこに、その場所があったという感動を一瞬味わった。
もうそれは一瞬のこと。その気持ちはそこへ置いていく。
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