8万人いた人口が、今は4分の1
高校の職員住宅という、50年経ってもインスタ映えしそうにない被写体に対していろいろな角度から一眼レフを向けていると、1人の男が怪訝そうにそれを見ていた。
決して怪しい者ではない
そう主張するために、少し話しかけておくことにする
ここは職員住宅ですよね?父が教師だったので40年前に住んでいたんですよ。
すると、その男は学校の先生で、その父親は僕の姉に教えていた先生だと言うことがわかった。
住んでおられた頃は8万あった人口も今は4分の1に減ってます。浦桑だけが地価が上がっているけど、あとは寂れてますよ。
海を渡って来たよそ者には、きちんとした標準語で話す彼。
相手が五島弁で話せば、僕もイントネーションを変えて、応じるだけの記憶はあるのだが、終始標準語で短い会話を終えた。
彼の言葉の意味を、この後、懐かしい町を足でなぞりながら、思い知らされることになる。
僕が住んでいた職員住宅は、今風の間取りでいえば「3K」にあたる。
玄関をはいると一階に風呂、便所(和式)、台所、4畳半の居間。
両親は夜になると机を片付けて、ここで寝ていた。
うなぎの寝床のような台所では、母が釣ってきたうなぎを捌いていた(一回だけですけど)
全長60cmもあるうなぎを釣り上げた母は、漁港のそばで育ったせいか、釣りのセンスに長けていた。まな板にキリで鰻の頭を打ち付けて捌く姿をみて、この人はなんでもできるんだなと子供心に感心した。
いつもは親子丼が入るどんぶりの器に、臨時で登場したうな丼が盛られた映像を今でも思い出せる。
階段を上って二階には二部屋。
四畳半を姉が使い、六畳を父と僕が使う。
父は机と書棚を置いていたが、そこで仕事をするということはなく、いつもテレビがある一階の居間でテストの採点や、授業の準備をしていた。
従って、六畳は僕の個室とも言えた。
部屋の窓からは田んぼと、級友の石橋君の家が見えた。
石橋君とは、それほど気が合うというわけではなかったが、彼の方が僕よりも後に引っ越して来たので、互いによそ者として通じるものはあったと思う。
彼の家は、いわゆるお金持ちらしく、新築の二階建てはなかなか立派だった。
彼がお金持ちだと実感したのは、僕の持っていないモノをいろいろと持っていたことによる。
僕は買ってもらえなかった中一コースを彼は毎月買っていて、僕は発売日には彼の部屋を訪れて、英語のアンチョコを見せてもらった。当時、中一コースには、後に「教科書ガイド」と呼ばれる、教科書の答えが付録で付いていたのだ。
フォーライフレコードから吉田拓郎が「となりの町のお嬢さん」を出した時、僕は「RKBベスト歌謡50」にリクエストしてエアチェックしていたが、彼はシングルレコードを持っていた。
ただ、なぜか僕はワイヤレスマイクを2本持っていて、一つを彼に貸していた。
あらゆる音が出る機械には、すべて「線」がついていた wired の時代において、wireless は僕らの冒険心を刺激した。
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