スタートスパートの結末
もちろん当時は「あと2km」とは知らないし、GPSもないので自分がどれくらいのペースで走り、心拍数がどれくらいなのかもわからない。今日は3.8kmを33分かける超スローペース。あの日はどれくらいで走っていたのだろう。キロ6分くらいのペースだろうか。
丸尾で一度下ったあと、魚目中に向かって最後の上りを終えると、いよいよ右折して校門をくぐる。あとは200mトラック1周を残すのみ。
今日の練習は校門をくぐって終わり。
ここでトラックを走って、あの想い出をなぞろうかと思ったが、やはりやめておく。
丸尾のあたりで、後ろから誰かが迫っているのを感じていた。そして校門をくぐったところで、三年生が背後に迫ってきた。応援している三年が「抜ける」と声をかける。相手が運動音痴と思われている僕だと知っているだけに、逆転は当然という論調の声援がとぶ。
そういえば、今思い出してみると、僕への応援がない。
いや、実際はあったのだけど聞こえなかったのか。敵の声援はくまなく聞こえているのに。
三年生が横に並んだ
ダメかな、弱気の虫が出る
でも、ここまできての3位はいやだ
競技場に入ってから抜かれるほど、気分の悪いものはない
どうせならば、食い下がろう
スタートスパートで勝負をつけたつもりだったが、仕方なくラストスパートへ
スタートスパートで勝負をつけたつもりだったが、仕方なくラストスパートへ
必死に歯を食いしばる。首を左右に振り、危ないくらいに。血管が切れるくらいに。恐らく、これほどのスパートは生涯で他に経験が無い
トラックの周回に入ると、少し距離が離れた。さらに歯を食いしばっていく。すると相手は着いて来れなかったらしく、最終コーナーで外側からかぶせてくる者はいなかった。
丸尾の県道でペースメーカーの陸上エースは離脱しており「1人で走って来ました」と何食わぬ顔で校門をくぐった三年生は既にゴールしていた。
僕はつづいての2位。
生涯において、運動大会でとった順位としては最高のものである。
級友はかつて僕をひ弱な坊ちゃんと呼んだ。
だが、この日を境に周囲の僕を見る目は変わった。
一年後、中学二年で迎えたマラソン大会では、僕は陸上部でもないのに「駅伝」の選手に選ばれてしまった。
マラソンの部を走る級友に、僕の戦略をこっそり教えると、彼はその年の優勝者となった。
マラソンランナーとなった今「スタートスパート」は禁忌中の禁忌だが、あの頃は、それが最強の策だと信じていた。
お兄さんより
よい子の皆さんは危険なので、真似をしないでね。
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