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2019年1月22日 (火)

鯨見山から有川捕鯨を想う

頭ヶ島天主堂見学が終わり、この旅で唯一の行事が終わった。
日はまだ南の空にある。
19時試合開始のサンフレッチェ広島-V・ファーレン長崎のピースマッチ観戦まで、まだ4時間もある。
旅先で何も予定がないのは、これ以上ない贅沢な時の過ごし方だ。


有川湾を右手に見ながらワゴンRを走らせて、有川の町まで戻る途中、看板に誘われて「黒崎園地展望所」に立ち寄る。
快晴の下、有川湾から水平線を一気に見通せるロケーション。
今、ここに鯨の群れがやって来たら、僕は携帯電話で漁師の友達に知らせることができる。
あ、でも商業捕鯨に抵触するか、いや、種類によっては近海捕鯨だからいいのかな・・


新上五島町観光物産協会まで戻り、白浜窯を教えてくれた礼を述べて、目を付けておいたかんころ餅を土産に買う。
姉は美味しかったと言ってくれたが、自分では食べなかったので、結局のところよくわからない。


さぁこれから何をしよう
俺は今何処へ行きたい?

ワゴンRで駐車場を出たところで「鯨見山」の看板が眼に入った。
昨日、鯨賓館ミュージアムで有川捕鯨のシステムを見ていた僕は、すぐにその看板が意味するところを理解することができた。
これは行かなければ!




看板に従って行くとすぐに車道は途絶え、そこから先は整備の行き届いていない坂道。観光資源に位置づけていないのだな・・この時はそう思った。
ハンドタオルで汗を拭いながら、頂上まで来ると、原付で来た青年が駐車場に寝そべっていた。
あれ?駐車場があるのか
青年によると、僕が登ってきたのとは反対側に車で登れる道があったのだった。


有川湾では江戸時代の初め頃から明治時代まで捕鯨が行われていた。
その頃、ここ鯨見山をはじめとしたいくつかの高台に「山見小屋」が置かれ、そこで鯨を見張り、鯨の群れが沖を通りかかると、それを漁師たちに知らせ、出漁の合図となっていた。

従って昭和の時代には捕鯨は行われておらず、僕が住んでいた昭和後期には、上五島で捕鯨の話しを聞かなかったわけだ。もしかすると後に学芸員を務めていた担任が何かの折りに話したかも知れないが、僕が商業捕鯨に関心を持ったのは2000年以降であり、当時は耳にしても、右から左に抜けていたのだろう。





佐賀県の小川島には板壁瓦葺き屋根の山見小屋が現存するが、この場所は観光資源として再現されたものだ。

室内に掲示された日本語を始めとする4カ国語の説明は次の通り
「この場所が恐らく本部の山見小屋で、沖の船や横浦捕鯨基地と連絡をとっていたものと考えられる」


今僕は高い関心と強い興味を持って、この場所に立ち、かつてここで鯨を見張った人を想う
この4ヶ月後、日本がIWCを脱退して、1年後には近海の商業捕鯨が再開することになるとは夢にも想わなかった。

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