一年に一度やって来る友達
年が明けると今年もそろそろ岩尾君からの電話がかかってくる頃だ
岩尾君との付き合いはかれこれ10年以上になる。
彼は営業で僕はそれを受ける側。
ここ数年、もう商談はなくなっているのだが、それでも彼はこの時期になると必ずやってくる。
1月の初め、滅多に鳴らない電話が鳴る
「今年もそろそろ、いかがでしょう」
今年はちょっと、早いね?
「そうですか?」
といったやりとりがあって、日時の約束をする。
指折り数えて待ったりはしないが、約束の日、僕は少しだけ明るい気持ちになる。
岩尾君はとても礼儀正しく、気持ちのいい青年であり、謙虚だ。
そんな人と会って気持ちが明るくならないわけがない。
そして、岩尾君とは「気が合う」
気が合うというのは、大抵において「話しが合う」ということを言うのだろう。
喫茶店で待ち合わせて、年長の僕が彼にコーヒーを奢る。
前払いのカウンターで僕が言う。
なんでもいいよ。好きなものを頼んで
「それじゃ、スペシャル抹茶ラテのラージで」
おいおい、本当に遠慮が無いなと、心の中で苦笑するが、そんな無遠慮に親しみを感じる。
岩尾君が商売にならないのに、僕を年に一度、訪ねてくるのは、僕との話を楽しみにしているからだ。
共通の話題は「スポーツ」
岩尾君は「野球」僕は「マラソン」
それぞれ、ルールも違うし、接点も少ないが、それぞれが取り組む「草野球」と「市民マラソン」で、この一年に起きた出来事を報告し合う。
「motoさんは今年はつくばでしたよね?」
彼に水を向けられて、僕が先陣を切る。
彼はノートを開いて、去年のメモを見ながら、質問してくる。
いろいろな人と話すけれど、彼のように「僕のメモ」を持ってくる人は見たことがない。
要点だけを話して、ところで野球はどう?
と水を向ける。
「実は事件がありまして」
彼が後攻を務める。
半年前、父兄ソフトボール大会で利き手の指を骨折したのだという。
「リハビリをして、随分曲がるようになった」
という岩尾君の指は、それでもグーで握った拳から1cm浮いていた。
指は人間の暮らしではとても役割が多い。
今でこそ、ペンを持って筆記する機会は減ったが、それでも何も書かないという日はない。営業の仕事をしていればなおさらだ。
お箸のコントロールがしづらいし、パソコンの「タッチタイピング」でも、スピードが落ちそうだ。
ボールを投げる岩尾君にしてみれば、難儀なことだろう。
僕はいつか「守備はファーストしかしない」という条件で、近所の草野球チームに入ろうと思っていたが、彼の話を聞いてきっぱり諦めることにした。
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