僕がトマトを克服したのは「西鉄味のタウン」だった
味のタウンとは、福岡市中央区天神、西鉄「福岡」駅のそばにあった飲食店街の愛称である。
幼少の頃、当時住んでいた山口の家から佐世保の親戚へ遊びに行く途中、家族でここに立ち寄るのが楽しみだった。
私の記憶が確かならば・・
当時は10店舗ほどが並ぶ飲食店街。
家族で外食をする時は洋食と相場が決まっていたが、一度だけ、ここで「ナイルカレー」に入った記憶がある。
博多は山口と佐世保のほぼ中間点に位置しており、休憩がてら天神の駐車場に停めて、ここを訪れていた。
食事を終えて202号線を走り始めるとすぐに平和台球場の横を通る。
試合がない日は、次節の日程が書かれた看板を見て、どきどきした。
西鉄のナイターをやっている日は、照明が煌々と点り「向こう側の世界」にわくわくした。
NPBの球団がない田舎町に住んでいる僕にとって「プロ野球」というのは、テレビと新聞の中で行われている「向こう側の世界」
その世界にほんの少しでも触れることは、UFOにさらわれて他の惑星に行くくらい、非日常の出来事に感じられた。
味のタウンから平和台球場。僕にとって博多は夢の町だった。
その日、僕は両親と3人でその町に来ていた。
春からひとり暮らしを始める博多の町に家探しに来ていたのだ。
父が運転する車に乗って、大学の近くを回り、家探しを終えた頃には夜になった。
「どこかで、飯でも食って行くか」
父が言った。
もう、家族との外食に胸をときめかせる歳ではなかったが、だったら味のタウンがいいと僕は希望した。
味のタウンがある天神は、これから帰る佐世保とは逆方向なのだが、当時の僕はまだ、その位置的関係を把握していなかった。
父、母と入った店の名前は覚えていない。ただ、そこが定食を出す店だったことは確かだ。
なぜならば、僕が注文した皿には、付け添えでトマトが乗っていた。
僕は子どもの頃からトマトが食べられなかった。
口に含んだ時の独特の酸っぱさ、噛んだ時にゅるっと出てくる種と緑の汁が気持ち悪くて、どうしても飲み込むことができなかった。
いつもならば「これ、食べて」と言って誰かに押しつけるのだが、その日は違っていた。
もしかしたら、食べられるようになっているんじゃないか?
ふと、そう思ったのだ。
これから始まる、生涯初めてのひとり暮らし、親元を離れて獲得する自由、これまでに住んだどの町よりも都会の博多。
そんな希望に溢れた心持ちが、何か違うこともできる気にさせたのだろう。
試しに口に放り込む。あの気持ち悪い食感を味合わずに済むよう、ほとんど噛まずに、急いで飲み込んでみる。
特別な味はしなかった。いつものように「おえっ」ともならなかった。
あれ?食べれた・・
つづく
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