謝罪の国に暮らして
通勤ラッシュの時間帯、たまたま座ることができた僕はスマホで小説を読んでいた。
駅が近づいて電車が軽く制動をかけた時のことだ。
前に立っていた若い女性の日傘の先端が思い切り、スマホの画面に振り下ろされた。
スマホの画面から鈍い音がした。
幸い、画面は割れずに済み、僕は顔を上げそうになったが、相手の顔を見る前に思いとどまった。
しかし、上のほうから「すみません」といった言葉は僕の耳には届かなかった。
ごめんなさい
すみません
を言わない
この時代は
いったい
なんなのだろう
都心の鉄道に限ったことなのか
東京だけに限ったことなのか
あるいは日本だけに限ったことなのか
いや、かつて日本は外国に比べると、率直にお詫びを述べる国だったと記憶している。
それは、この出来事に関連がある。
2001年2月10日(現地時間9日)
ハワイダイヤモンドヘッド沖18kmの地点(米国潜水艦 訓練海域外)で愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に米国原潜「グリーンビル」が衝突、えひめ丸が沈没した。
この事故でえひめ丸に乗っていた乗組員、実習生合わせて9人が行方不明となった。
原潜グリーンビルは事故の際、民間人2人が操舵席に座りソナー室にも民間人が入っていた。
休暇でゴルフ中だった森喜朗首相が、第一報を受けた後もプレーを続けたことが非難の的となり「30分ルール」という言葉が話題に上った。
約束事のリードタイムを言う時に「*分ルール」という言葉が定着したのもこの事件からである。
それよりも話題になったのは、ワドル艦長が事故後しばらくの間、公の場で謝罪しなかったことだ。
当時「米国は訴訟社会だ。裁判で不利になるため、彼らは非を認めない。むやみに謝罪しないという文化なのである」ということが、メディアのご意見番によって語られたが、そこは文化の違う日本人の反感を買った。
事件からおよそ一ヶ月後の3月8日 ワドル前艦長が査問会議を傍聴していた被害者の家族3人に会場で直接謝罪した。
これは、嫌米に傾いていた日本の世論に配慮したものと思われた。
米国原潜が日本船を沈めたのはこれが2例めで、1981年5月には「ジョージワシントン」が日昇丸に当て逃げして2人が死亡している。
事件から9ヵ月の11月25日、ホノルル沖20キロ 2,000mの深海にえひめ丸は沈められた。最後のお一人の遺体は発見できなかったが、ご両親は了承したうえでこの現場に立ち会った。
謝罪しないということは日本人ではないのだろうか。
電車を待つホームで並ばない。車内では大声で盛り上がる。日頃、国民性の違いを見せつけられていると、そんな考えもよぎる。
日常に起こりうる迷惑行為や過失に対して、抗議の声は無力だ。
なんの人間関係も利害関係も社会的な関係もない人の心根を変えることはできない。
たまたま、電車で居合わせただけの人に、僕らはなんの言葉も持たない。
ただただ、自らを律するしかないのである。
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