空也上人立像(第1話)
空也上人立像(第1話)
今日は長い間、このブログの右ペインに掲示してきた画像についてのお話です。
僕がこの木像に出会ったのは高校の時、日本史の教科書でした。
「空也上人立像」
空也がどのような人だったかは記憶に残りませんでしたが、口から仏を吐き出している独特な姿が目に焼き付きました。
空也は平安時代に生きた天台宗の僧侶。
質素な服装でいつも念仏を唱えて町を周り、人々を助けていたので「市聖(いちのひじり)」と呼ばれていました。
今思えば僕がV・ファーレン長崎の翁長聖(おながひじり)に強く惹かれるのは、その名前のせいかも知れません^^)
空也は一般的に「くうや」と呼ばれていますが、異説もあるようです。
堀一郎は著書「空也」~1968年初刷~ の冒頭で「空也はふつうクウヤと呼ばれているが、コウヤが正しい」と記しています。
石井義長は著書「空也」~2009年初刷~で「くうや」の読みが正しいとして、その根拠を記しています。
空也はそれまで「死霊を鎮めるもの」だった念仏を「自らの魂を浄土に安住させるため」の念仏へと、価値観を変えました。
*参考文献「浄土の聖者空也」伊藤 唯真 2004年
すなわち「お墓や仏壇で唱えていた」念仏を「生活のあらゆる場面で自らのためにも唱える」念仏へと幅を広げるきっかけを作ったのが空也だったようです。
■空也に関連する年表
903年
空也生涯の記録「空也上人誄」に「70歳で入滅」とあることから、この年に生まれたと推定されている
927年
出家 空也という沙弥名を自称する
938年
京都で念仏を唱え始める。市聖と呼ばれるようになる
950年
西光寺を創建(後に六波羅蜜寺と改名)
951年
都に流行していた悪疫退散のために「十一面観音」を彫る
当時、空也には多額の寄進が寄せられ、空也はそれを財源にして全国に道路、橋、井戸を作りました。
空也が掘った井戸が今も全国に残っていて、下関市で掘った井戸は現存しており、見ることができます。
近隣の下関市立名池小学校の校歌には「空也の上人ほりしちょう」と空也が井戸を掘ったことが歌詞に登場します。
参考文献:下関市水道サービス公社ホームページ
972年
9月11日、京都 西光寺で没する
源為憲が空也生涯の記録「空也上人誄」を記す
1279年
一遍上人が踊躍念仏を始める。当時の書物「一遍聖絵」に「そもそも踊り念仏は空也上人、あるいは市屋、あるいは四条の辻にて始行給けり」と記されている
つづく
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