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2020年4月19日 (日)

遅い!という人はなぜ遅いというのか?

やわらかい!

とり天を食べた時、芸能人が叫んだ

やわらかい!

目の前で焼いた牡蠣を食べて、芸人が叫んだ

そりゃ、そうだろう
彼らは「固さ」でしか味覚を表現できないのだから。
語彙が乏しいということもある。
ただ、それだけではない。
分析の視点が偏っているのだ。

分析の視点が偏るのは、知識不足に拠る。
料理でいえば、五味、その料理が生まれた背景、地域に根ざした食文化、旬の季節や製法といったことを知っていれば「評論」はまったく違ったものになる。


遅い

街角で放送局がマイクを向けた誰もが言う
政府の対応を非難している

語彙が乏しい
分析の視点が乏しい
そして、何が求められているのかを間違えている。

外出自粛が求められるなか、主要駅の前でテレビ局の呼びかけに足を止めている人たちに、テレビ局は何を求めているか?

それは、きっと「素人なのに評論家気取りで、自分たちのストーリーに沿って話してくれる」人だ。
テレビ局側には、意に沿わないことを言った人の映像は放送しないという選択肢も委ねられている。
初めから、放送局の恣意通りに作られているのだから茶番だ。
その茶番に乗る人が一人でもいるから、"あの映像"は成り立つ。

「非常事態宣言はいいけど、遅いのかな」
「現金給付はいいけど、そもそも遅い」

誰かがひとたび「時制」で評論すると、あとにつづく人たちの思考は止まり、誰もが速いか遅いかという視点でしか語れなくなる。


あらゆる決断は、効果、影響との均衡点をみて行われる。
詳細なデータを持たない人に、そもそも早いか遅いかはわからない。
判断を専権している者が決断すれば、自分たちはどうしていくのかを考えればいい。
平和が続いていて、民主主義の憲法が敷かれている僕らの国では、それができる。
幸い、まだ感染者数・死者数ともに相対的に低くおさまっている。
それをとり仕切って、維持してくださっている人に対して感謝する。

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