ジャイアントロボの想い出(4)
ジャイアントロボ貯金の60円が貯まった日は、恐らく土曜日か日曜日でした。
なぜ、そう思うかというと、おもちゃ屋さんまで父がクルマで乗せていってくれたからです。
10円玉6枚が貯まった日、母から60円の補填を受けると、速攻でジャイアントロボを迎えに行きました。
我が家にやってきた「ジャイアントロボ」のおもちゃが、その後、どうなったのかは全く記憶がありません。
今ならば、開封前に写真を一枚撮るところですが、当時はフィルム代、現像代がかかる時代。父に「ジャイアントロボと1枚撮って」と頼む発想すらありません。
大事に抱いて寝た記憶はないし、何処にどのように飾っていたかも覚えていない。
そして、それをいつ廃棄したかも。
子どもの頃、大切にしていたモノを大人になって懐かしく思い出す。
誰でも1つや2つ、そういったモノがあると思います。
でも、モノの魅力は時を追う毎に色あせ、何処かで捨てられる。
あれは、いつ捨てたのだろう?
なぜ、捨ててしまったのだろう?
そういう経験がある人ほど、モノが捨てられないのではないかと近藤麻理恵さんに言いたいです。
時は2000年代
数十年が過ぎて、僕は大人になりました。
120円のジャイアントロボのことはすっかり忘れていたのですが、ある夏の日、里帰りの途中に立ち寄った天神の「まんだらけ」で再会します。
エレベーターを登り切った正面にあるガラスショーケースの中から、あのつぶらな瞳が僕を睨んでいる。
ひと目みてそれだと分かりました。
灰色淡色の筐体、しわしわのセロハン袋に入ったそれは、かつて僕が天ぷら代を貯めて、母に60円を足してもらったジャイアントロボ。
値段は15,000円でした。
大人になっているわけですから、15,000円はどうしても欲しければ出せない金額ではありません。でも120円だったモノに「思い出料金」を足したとしても「125倍」はあり得ない。
世の中には「大人買い」という言葉があります。資金力に任せて、かつて子どもの頃にはできなかったような次元の予算を投入することです(日銀かっ)
しかし、コレクターの世界に入って数年が過ぎていた僕には「モノの価値に見合わないお金は出さない」という決めごとがありました。
生産された時代が古く、残存量が少なくて値段は高騰しているが、造形そのものに魅入られるものがない。そういうモノには手を出さないと決めていたのです。
それでも1分間、立ち止まって動けませんでした。
フロアを一周してから、もう一度、ジャイアントロボと対峙しましたが、決心は変わりませんでした。
6時間後
特急みどり号に乗って佐世保に戻った僕は、母にその話をしました。
かつて、おやつ代わりに天ぷらを買っていたこと、僕がほしがったおもちゃに60円を足してくれたこと。
それと同じモノを博多で見かけたこと
つづく
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