ジャイアントロボの想い出(5)
母はアーケードのおもちゃ屋で買ったジャイアントロボの話しを覚えていませんでした。
別にボケていたというわけではなく、人の記憶とはそんなものだと思います。今でもこういうことを書いていると、姉が「あんたはそんなことまでよー覚えとるね」と驚きます。
母に話しをした時、内心、母が「買いなさい」つまり買ってあげると言ってくれるのではないかという気持ちがありました。
ひと通り話し終えた時、母が山口弁で言いました。
「いくらかね?」
きたーーーーーーーーーーー
ではなく穏やかに、やはり、そう来るかと思いましたが、僕は買う気がないことを即座に伝えました。
もう大人ですから、無茶な買い物をするならば、自力でしなければと思ったのです。
母は、ちょっと残念そうに見えました。
久しぶりに子どもにおもちゃをねだられたようなもの。
既に大人になっているとは言っても、母からみれば子どもは子ども。
買ってやりたいと思った気持ちに、応えることも孝行だったのかと今ならば思いますが、その時は達観するにはまだ若く、母の厚意を言下に辞したのでした。
次の夏が来て、僕はまた「まんだらけ」に寄り、ジャイアントロボはまだあるかな?と確認しました。
僕の記憶が確かならば、翌年はまだそこに居たものの、その次の年にはもう居なくなっていました。
よかった、これでもう考えなくて済む。
ほっとする気持ちと残念な気持ちが入り交じりました。
数年後、ジャイアントロボはヤフオクに居ました。
写真ではありますが、僕が見間違うはずがありません。
確かにあの120円だったジャイアントロボ
値段は10,000円でした。
安い^^;)
現在、かつて120円、その後、10,000円となったジャイアントロボは、ショーケースの最前面に鎮座しています。あ、立っているか
セロハンの袋は未開封のまま
いつかまた転売しようと思っているわけではありません。
すべてのコレクターグッズは箱や袋から出して飾るのですが、これだけは例外。
袋に入ったまま、まだアーケードのおもちゃ屋の店頭にあった時の姿という設定^^;)のほうが、自分のなかでは価値が高まるのです。
2009年
民主党の金字塔「高速1000円」を利用して、クルマでかつて住んだ町を訪れました。
既におもちゃ屋がないことは知っていたのですが、アーケードはそのままのカタチで残っていました。
「懐かしいね」
これが母と最後の長距離ドライブ。
我慢強い大人でもぶーたれる人が多い、僕の車の助手席はとても低く狭く、母は「なんか、乗りにくいね」とこぼしていましたが、それでも行く先々ではとても楽しそうでした。
2009年、原作者 横山光輝の出身地、神戸市長田に「鉄人28号モニュメント」が作られました。僕は鉄人ファンではありませんが、その特異性に驚き神戸に見に行きました。
できれば、いつか、このとなりにジャイアントロボのプロップ原寸モニュメントが見たいと思います。
おわり
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コメント
いつも更新、お疲れさまです。
とても面白かったです。
今度は是非、番組の感想をお願いします。
(ツッコミどころ満載ですが)
投稿: アラブ | 2020年5月13日 (水) 23時54分
>アラブさん
いつもありがとうございます。
番組は見ていないのですが・・
投稿: moto | 2020年5月14日 (木) 17時45分