木のバットで思い切り頭を殴られた時にしたこと
ヒサシは日頃から僕のことをよく想っていなかったのだろう。
それが、なにかの言葉をトリガーにして爆発したに違いない
(当時はキレる、ぶち切れという言葉はない)
僕はブロックに体を預けて中腰になっていたため、ヒサシのレベルスイング軌道がちょうど僕の頭の高さになった。
僕の頭を狙ってヒサシがバットを振り、バットは僕の頭を強く殴打した
(゚゜)\バキ☆
その時、すぐに考えたのは
今バットで殴られたよな
オレ死んでないよね
これはちょっとひどいんじゃないか?
(今風に言えば、ありえないんじゃね?)
あまりの衝撃に目頭が滲む
僕らは男が泣くことは恥だと想って育った世代だ。
今でこそ、葬式で泣いたり、なかには結婚式で泣いたりすることも珍しくないが、かつては、そうではなかった。
男のくせに泣くなんて、みっともない
そう想って育った僕は、バットで殴られるという希有な体験下にあっても涙はこぼさなかった。
大丈夫だ
死んでない
後遺症が残るとか、そういうことはわからないが、今は大丈夫だ
5秒でそこまで確認すると、犯人のヒサシを見た
彼の顔には「なんだ、死なないのか」と書いてあった
冗談ではない
大丈夫か?という気遣いはないし、大それたことをしたかもという後悔もない
もしも僕がその一撃で死んでいたら、彼は警察官に「1度、バットで人間の頭を思い切り殴ってみたかった」と言っただろう。
となりではシンちゃんが固唾を呑んで、事態を見守っていた。
シンちゃんは今の言葉でいえば「イケメン」当時の言葉では「美男子」の部類にはいる、端正な顔立ちだった。
その顔が目を見開いて歪んでいる
あまりの出来事に言葉はでない
その顔を写真に撮ってマジックで吹き出しを書いたならば、そこには
「ひょえ~」
という文字がぴったりだった。
当時まだ金属バットは普及しておらず、ヒサシのバットが木製だったことが、不幸中の幸いだったのだろうか。
ヒサシがひ弱だったこともよかったかも知れない。
(彼はソフトボールの地区選抜では補欠にも入れなかった)
僕はキャッチボールを諦め、自分の足でふらつくこともなく歩き、50m離れた家に帰った。
そのまま、布団を敷いてしばらくヨコになるということもしなかった。
家には母が居たが、なにも報告しなかった。
このことは、僕の口からは誰にも言っていない。
墓場まで持っていくという類いのことでもないので、ここに書いてみた。
その後、ヒサシが親を連れて、家に謝りに来るということもなかったので、彼も親には報告しなかったのだろう。
今と違って、我が子に非があれば、親が子供をしょっ引いて謝りに出向くというのが常識だった。
五島にいるうち、僕は1度謝りに行ったし、1度は謝りに来られた。
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