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2020年9月 9日 (水)

千年の時を刻む町ハウステンボス 神近義邦さん逝く

長崎オランダ村、ハウステンボスの創業者である神近義邦(かみちかよしくに)さんが亡くなった。

僕がハウステンボスを応援するようになったのは、1992年にハウステンボスが開業して2年後、尾張旭の書店で「ハウステンボスの挑戦」講談社 を手に取ったことで始まる。

郷里の佐世保市にできたテーマパークには既に1度、名古屋から足を運んでいたが、特別な思い入れは湧かなかった。遠来の客がよくいう「1度行けば十分」組に近い。

神近義邦という人は知らなかったが、郷里の一大事業について知っておきたいと思い1,700円を投じた「ハウステンボスの挑戦」は筆者がいう通り「成功物語」ではない。その生い立ちと1994年の今を描いたロードムービーだ。

資産家でもない西彼町役場の公務員だった神近さんが、当時一世を風靡した「長崎オランダ村」を立ちあげ、やがて「ハウステンボス」を創る。
「半沢直樹」も真っ青。まさに「事実は小説より奇なり」の展開に何度も目を疑った。

NETHERLANDSと江戸の街作りに倣い、日本のハイテクが支える「エコロジー&エコノミー」環境と経済を両立した街作りを具現化した「ハウステンボス」のビジョンに心打たれた。
その後、20年近く「ISO14001」に携わることになったのは、そこに感銘を受けたからだ。ハウステンボスはテーマパークというより町そのもの。実際に佐世保市ハウステンボス町という行政上の町である。

「ハウステンボスの挑戦」273ページに及ぶ書のなかで、最も心に刻まれたのは「エンスージアスト」という言葉だ。頼んでもいないのに企業寄りに立って発言してくれる熱狂的ファン「エンスージアスト」をどれだけ作れるかが成功の鍵だと神近さんは言う。

この本で神近義邦さんの虜となった僕は、その後「寝てもテンボス、醒めてもテンボス」「三度の飯よりテンボスが好き」という10年間を過ごす。
係留気球「ルフティ」の名付け親、朝日新聞全国版の記事広告掲載など貴重で心躍る時間が流れるなか、常に「いつか神近義邦さんに会いたい」という気持ちがあった。会って「あなたはまさにエンスージアストだね」と言われたかった。

一度だけ、主宰していたニフティFPARKハウステンボス会議室などのログをフロッピーディスクに入れて送ったことがある。返事は来なかったが、念じていれば、いつかきっと会えるとも思っていた。

2003年6月、メインバンク興銀(現:みずほ銀行)から202億の債務免除を引き出したのを機に経営責任をとり神近さんは辞任。
その後もお元気に暮らしておられると聞いていたが、現役を引かれた神近さんとのご縁はつながらなかった。

享年78歳。ご冥福をお祈りいたします。
あなたが創ろうとした「千年後、子供たちの明るい笑い声が響きあう町」
そのバトンを誰かが見付けてくれることを祈る。

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