初めて佐世保に帰らない1年
今年は佐世保に帰らないことにした
18歳で佐世保を出て以来、一度も帰らないのは初めてのことだ
元々、五輪の役割があったのでお盆の帰省は諦めて、11月末の「長崎平和マラソン」に合わせて帰る予定だった。
しかし、五輪もマラソンも「延期」
それでも、飛行機の切符は2月に買っているので、マラソンは無くても帰るつもりだった。
ところが、このコロナ
「帰るの止そうかな」
と初めに想ったのは、ANAが本来高額のキャンセル料がかかる早期割引切符に対して、事務手数料程度で払い戻していることを知った時だった。
台風の時にはJRがキャンセル料を取らないように、致し方ない事情の時にみせる大手運輸会社の懐の深さ。
ただでさえ、大変な時なのに、その顧客想いの姿勢に「次もきっとANAに乗るぞ」と想う。
これで、判断を左右されるものがなくなり、あとは自分が決めるだけになった。
結果的には50日ほど前に断念を決めた。
理由は「自粛」
切っ掛けはある1通のメールだった
その日届いた地方の出先からのメールにこんなことが書き添えられていた
「東京はコロナで大変ななか、皆さんが仕事をしてくださっているから、私たちも仕事が続けられます」
地方の人は東京をそういう目で見てるんだ・・
きっとコロナの粉塵が舞うなか、防塵マスクを付けて会社へ向かう僕らの映像が浮かんでいるのだろう。
東京に住んでいれば、ここは至って普通の町だ
もちろん、皆がマスクをつけていたり、人の流れが違っていたりと、コロナ前とは大きく異なっているが、24時間大きなストレスを抱えていたり、コロナと戦っているという気持ちはない。
しかし、感染者が少ない地方の人からみれば、東京に行けばすぐにコロナにかかり、東京から来た人と接すれば、すぐにコロナがうつると思えるのかも知れない。
10月に入ってオンライン呑み会で話した札幌の友達も「そろそろ東京に行ってもいいかなぁ。大丈夫だよねぇ」と恐る恐る話していた。
想像してみてほしい
あなたは東京に住む、6歳の子供をもつ母親だとする
6歳といえば、ずいぶん体も丈夫になったが、大人と比べればまだまだ病気への抵抗力は弱い。特に流感は怖い。
そんな時、地方から親戚が姪っ子を連れて遊びにくる。
親子ともども楽しみに待っていたのだが、到着した姪っ子はひどい風邪を引いていた・・
それは、都会も地方もない。相手がどう思うかを想像するということだ。
僕は佐世保の親戚や友達が、どう思うかを想像した。
「行ってもいいか」と尋ねれば、嫌な顔はしづらいだろう。これは、自分が決めなければならない。
そんな時、姉が「ぽると」を送ってくれた。
これで、しばし佐世保気分が味わえる
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