子供の頃の夢 ジャパネットのMC
ウェザーニュースLiveに出演しているお天気キャスター山岸愛梨は子供の頃は美少女戦士、その後アナウンサーになりたかったという。そして今、ほぼその夢を叶えている。
次の夢は80歳でもお天気キャスターらしいが、彼女だったらそれも叶えるのではと思えてしまう。
僕がものごころ付いた時、初めになりたかったのは
とーちょっきゅうの運転手
(超特急のまつがい)
でも本当はプロ野球の選手を夢見ていた。
周囲の野球仲間には居なかった左利きの僕は、王選手のように一本足打法でホームランを打ちたいと想っていたが、子供心にも理想と現実のギャップを把握していて、運転手ならば手が届くと考えていた。
まだ新幹線は大阪までしか来ていなかったが、テレビで図鑑で見るひかり号、後に0系と呼ばれる列車に憧れた。
(0系と呼ばれ始めたのは100系登場後)
ぴかぴかの一年生の文集に、将来の夢は「しんかんせんのうんてん手」と書いた。
しばらくして運転手という響きに輝きが薄れてからは「新聞記者」
これは、学級の新聞がかりだった影響だと思う。
でも本当になりたかったのは、テレビ局のアナウンサー。
誰にも言わなかったが、就職活動を始めた時ですら、心の底にその希望を抱いていた。
ある日突然「motoくん、君は喋るのが得意だから、うちに来ないかね」と
テレビ局のお偉いさんから誘われるのを妄想していたが、結局お偉いさんは現れなかった。
周囲に新聞記者志望を公言すると下関のおばちゃんに諭された。
「新聞記者は人の話を聞くのが商売じゃ。あんたは喋るのが得意かも知れんけど、新聞記者が喋っちゃいけん。なりたいんなら、人の話を聞く練習をせにゃいかんぞね」
小学生には難しい、含蓄深い言葉だ。事実、あまり心に響かなかった僕は人の話を聞く練習を怠ってしまった。
あの時、謙虚に受け止めておけば、また違う人生だっただろう。
ここ数年、研修の仕事を進んで引き受けるようになった。
それは「人の前で話したい」という夢がくすぶっているからだろう。
「人の前で話す」というのは割とハードルが高い。
まずは登壇する場が必要だ。
何らかの著名な属性、評判があり、それを求めてお座敷がかからなければ、壇にも上れない。
そんな時、ジャパネットのMC募集が目に留まった
勤務地はスタジオがある佐世保。それよりも僕はある「条件」を探した。
年齢制限だ。
条件や要項を目を皿のようにして見たが、それは書いていなかった。
V・ファーレン長崎の応援を始めて以来、ジャパネットの通販番組を録画して見るようになった。
いつも、お世話になっているので、何か入り用のものがあればお布施したいと思って見始めたのだが、今ではエンターテインメントとして楽しんでいる。
明しゃちょー(高田明氏)が退いた今も、後継者がしっかり育っているジャパネットのMC陣。
滑舌良く、謙虚、清潔感に溢れている
僕にもできないだろうか
生き様を前面に出して、よく学び、きれいな日本語で話す
それでよければ、できるかも知れない
この年齢であっても
ラジオだったら・・
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