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2021年3月14日 (日)

佐野さん、いつまで僕らのそばにいてくださいますか?

2021年3月12日夜
明日の再会に備え、録画したNHKの音楽番組「SONGS」を見てから寝ることにした
HDレコーダーに録画したテレビ番組は、視聴を終えるとすぐ消すことにしている。それは「いつかまた見よう」と残しておいて2度見た試しがないからだ。
それでも、この番組は残している。
「なにかもう少し見たいな」という時に「約束の橋」「エンターテインメント」を聴くためだ。

この番組では、いつもの大泉洋に代わり「40年来佐野のファン」という武田真一アナウンサーがインタビューを担っている。
番組の終盤、武田アナウンサーがこう切り込む

武田(たけた)
佐野さんの音楽に出会って40年くらいになります、僕らも
これからも佐野さんの音楽がないと生きられないんですね
いつまで僕らのそばにいてくださいますか?

佐野
いつまでとは約束できないけど
コロナが晴れたらコンサート会場にきてよい時間を過ごしたい

武田さんの質問は、僕ら元春ファンの誰もが聞きたいこと。雑誌のインタビューアーは聞かないけれど、ファンが本人を目の前にしたら、意を決して聞きたくなるだろう。
1994年冬、僕ら「元春HP」の仲間はビデオメッセージで佐野さんにこう語りかけた。
「50になっても、60になっても、佐野さんが歌い続けてくれる限り、僕らは友達で居られます」
当時、佐野さん38歳。「50、60」というのは、遙か彼方に思えたから使った数字だった。

迎えた当日の朝
昨晩見た番組を思い返して、こんなことを考えた。

武田さんは元春と出会った時、熊本の田舎に住む中学生だった。
元春が描く世界観に接し、都会の若者たちの風景にノックダウンされたという。

僕は元春と出会った時、福岡に住む大学生だった。
まさに、元春が描く対象の「悩める10代」
つまり佐野さんより、ほんの少し下の世代。
佐野さんの少し下に生まれたのは、この人生の中でも特筆に値する幸運だったと思う。
既にある程度都会という環境にいた僕が、次なる社会人としての場を東京に求めたのは、意識はしていなかったが、佐野さんの影響があったのかも知れない。

田舎に住む中学生
都会に住む高校生
悩める10代
70年代の音楽を聴いて育った佐野さんと同年代
60年代の音楽を聴いて育った1つ上の世代
50年代の音楽を聴いて育った2つ上の世代

それぞれの世代で元春と出会った熱狂的ファンに「元春と出会い、あなたはどう心が動き、実際にどう動いたか」という話しを聞きたい。
一堂に会さなくてもいいが、できるだけ、オーガナイズされた環境での話しだ。

「Google先生」に「武田真一 佐野元春」で知見を求めると、武田さんがこのインタビュー後に書いた記事が「クロ現」のサイトに残っていた。
そこには、武田さんが初めて佐野さんに会った日、佐野さんが「シグニチャーしましょうか?」と申し出たことが書かれている。
元春仲間の友達からも、街でばったり佐野さんと出会った話しを聞いたことがある。すっかり舞い上がっていると、佐野さんの方から「なにか書くものがあったら、署名しましょうか?」と言われたという。
「ふつう、それを言うならサインだよね?」
友達は目の前で起きている光景のように話した

そこは署名・シグニチャーなんだ・・

「SONGS佐野元春」をご覧になった方に、お勧めします
武田真一、佐野元春に聞く―「SONGS」対談を終えて&未公開トーク

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