東京五輪2016
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東京五輪2020が開幕した。
その歴史は遡ること16年、2005年に始まっている。
東京都は2016年に開かれる第31回夏季五輪の開催地に立候補したが、落選した。
2005年9月、
東京都が招致を表明
2006年
8月30日、JOC投票33対22で福岡を破り立候補の権利を得る
8月31日、石原慎太郎都知事が小泉純一郎総理大臣を訪ね、政府の支援を要請
9月25日、テレビ番組「さしのみ」で石原都知事は五輪開催推進の意味も含めて三選出馬を示唆した
2007年
4月、都知事選で石原慎太郎が浅野史郎を破り当選、3期目にはいる
10月、東京都民による招致署名活動が始まる
誰もがおらが町の五輪を一点の曇りも無く待ち望んでいた頃。
今となっては、懐かしささえ感じる時代。
それが、コロナ禍で「賛成」と「反対」に分断されてしまった。
東京は、二つ掲げた開催意義の一つに「新しい都市モデルを提案し、地球環境を再生する」と謳った。
■招致活動費:150億円
■恒久施設整備費:2,406億円
■仮設設備費:843億円
■経済効果:2兆8,000億円(全国)
数値は、平成20年度東京オリンピック・パラリンピック招致本部パンフレットより
サッカー、射撃を除くすべての競技施設が、オリンピックスタジアムから半径8kmにおさまる世界一コンパクトな五輪を目指した。この大枠は2020に引き継がれた。
ただ、マラソンと競歩を「暑いから」という理由で札幌に移転した辺りから流れが変わったと感じている。
2008年6月
IOC総会で、東京は最高の評価を得て候補地の一つに選出される。
候補地は東京、スペインのマドリード、米国のシカゴ、ブラジルのリオデジャネイロの4つ。
2009年
4月16日~19日、IOC評価委員が東京を視察
10月2日、IOC総会で投票。
最初にシカゴ、つづいて東京が落選。
リオデジャネイロとマドリードの決戦投票となり、リオデジャネイロ~ブラジル~に決まった。
次回は東京五輪2020決定の経緯
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