オリパラの選手村で過ごした2か月は、あまりに特別過ぎて
パラリンピック選手村(以下[PLV])で、およそ1か月を過ごすうちに、障がい者と接することへの違和感や苦手意識は消えた。
それが、特別なことではなくなり、日常になったからだ。
五輪選手村(以下[OLV])が終わる頃、選手村仲間のField Castボランティアから「パラもやりたかった」という声を多く耳にした。
「パラリンピックも希望したけれど、五輪しかオファーがこなかった」
「ボランティアを申し込む時点では、とりあえず五輪でボランティアすることしか、頭になかった」
「[OLV]をやってみて[PLV]をやりたくなった」
その気持ちは僕にもよくわかった。
オリパラ共に希望を出し、共にオファーをいただくという僥倖を得たが、特に「パラに携わりたい」と強く望んだわけではなく、少しでも長くその活動をしていたいという気持ちだった。
理由は人それぞれだが、多くの人が望んでいたことは確かだ。
ただ[OLV]よりも[PLV]の方が、入村する選手数が少ない。従って、必要なField Castの数も少なくなる。希望が叶わなかったのは、そういう理由もあるだろう。
[OLV]が終わる時点では、ここでの活動がまだ一ヶ月つづく。まだ夢の中に居られるという気持ちが強かった。
ただ、少しずつ「パラリンピックってどんなんだろう」というワクワク感も頭をもたげていった。
スペシャルオリンピックスのボランティアは経験したが、パラスポーツは未体験。
ここまでやってきた[OLV]活動とは、何がどう違うのか。
両方が終わってしまった今、結論から言うと同じだった。
運用上の違いや[PLV]からの新たな取組はあったにせよ、変わらなかった。
だが、心に沈む[OLV]と[PLV]の印象を比べた時に、そこには微妙な違いがある。
僕が今、なにかの試験に臨んでいて、それを「50文字以内で書きなさい」と問われたら、しかたなく書くだろう。
だが、それが正確なものか自信がない。
これから、文章を書きながら、掘り起こしてみたい。
オリパラの選手村で過ごした2か月は、あまりに特別過ぎて、空に浮かぶ巨大な水風船のようだ
夢は書き留めておかないと一瞬で忘れ去ってしまう。
すでにかなりの部分を忘れているかも知れない。
できるだけ、早いうちに、選手村生活を書き留めていこう。
「選手村で知り得たことはSNSやブログに書くことはできない」という縛りがある。
書き留めたことの中から、ここに書けることがどれだけあるのかも、書いてみなければわからない。
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