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2021年12月17日 (金)

箱根でおこなわれた定年退職の送別会

権田さんの送別会は強羅温泉のとある温泉旅館で行われた。
当時は、うちの会社でもパソコンの「1人1台化」が行われて、いよいよ世の中はパソコン時代に入ろうとしていた。
今となっては、紙とボールペンに電話とFAXで仕事をしていたことは大昔のことのようだが、暦年にしてまだ20年ほど前のことだ。
ということは、世の中の変化の速度がすさまじいと言うことになる。

インターネットが日本に入ってきたのが1994年、僕らが佐野元春さんと公式サイトを作ったのが1995年。そして「インターネット元年」と言えるのは1997年だと僕は考えている。
なぜそうかというと、この年に初めてLAN端子を標準装備したノートパソコンが売り出されたからだ。
その年に買い換えた自身3台めのノートにはLAN端子つまり「10BASE-T(てんべーすてぃー)」が1ポート実装された。
それまでは、後付けしたモデムからモジュラーケーブルで電話線に接続していた。

話しを送別会に戻そう
この頃はまだ、目的地の住所を打ち込むだけで、最適なルートを提案してくれるサービスはなかったが、最寄り駅までの乗換案内は既に存在した。東京に来て1年。箱根と言われてもそれが何県にあるのかさえ知らなくても、箱根登山鉄道に乗って強羅温泉にたどり着くことができた。


箱根登山鉄道とは、神奈川県の小田原~早雲山を営業運転する3つの鉄道の総称

■小田原~箱根湯本
小田急と連絡運転する普通の鉄道
新宿~箱根湯本の直通便も出ている

■箱根湯本~強羅
スイッチバック式の登山鉄道
・箱根湯本から強羅に向かって左側が景色がよい
・進行方向に前向きに座るとよい
・スイッチバックは3回
・スイッチバックの度に運転手と車掌がホームを走って入れ替わる

■強羅~早雲山
急斜面を上る登山ケーブルカー


送別会の宴もたけなわ。
およそ30名ほどの出席者が1人ずつ権田さんを送る言葉を贈る。
権田さんは一番隅っこに座っていて、僕はそのとなりに陣取っていた。
権田さんは若いプログラマー達には愛されていたけれど、同僚には煙たがられてもいたので、となりが空いていたのだ。

向こうの端っこに座った社員から席の順番に話し始める。
それを「ふんふん」とか「そうだな」とか合いの手を入れながら聞いている権田さん。
僕は同僚たちの贈る言葉を聞きながら、少し物足りなさを感じていた。
誰もがいい話しをしたい。他の誰かと同じように。
だが、どれも同じ過ぎていて、心に響かない。
僕が送られる立場だったら「あぁ自分はこんなものか」と想うのではないか。

一人終わり、また一人が終わる。どの話しもきれいごとだし、ありきたりだ。
順番が近づいてくるに連れて、権田さんを喜ばせることを言ってあげたいという気持ちが募っていく。
ここに居る同僚の中で、権田さんとの付き合いは僕が一番短い。それでもそのわずかな時間の中から、今僕に言える精一杯の言葉を見つけ出した。

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