定年した僕への手紙
元気ですか?
僕はこの手紙を2年前に書いています。
最近、しごとで辛い状況にあります。
とても苦手にしている奴らとのせめぎ合い。
そして、僕が主導する全社への新たな規制。それによって、容易に想像がつくユーザーとの軋轢。
それにもプレッシャーを感じています。
会社で行う規制というのは、個人が好きに決めるものではなく、組織の意向で決めるもの。
僕が個人的にやりたくてやるということはありません。
本来ならば、そこには共に戦う?同僚たちが居るわけですが、果たして彼らがどれだけ「自分ごと」だと思っているか疑問です。
誰だって火中の栗を拾いたくない。
できるだけ遠巻きにして、火の粉がかからぬようにしたい。
決めた時は会議で決めたのに「じゃ君がやって」と言われた時に「わかりました」と物わかりのいい振りをしたのがよくなったと今では想います。
分析して制度設計して、社内に周知する段取りを決めて・・そうして進めているうちに、周りから人が居なくなっていました。
そんな中、1人で戦っている気がします。自分ひとりで背負い込んでいるというか。
あまりに考えすぎかな?
楽天家オプティミストになりたいと思い始めています。
どうしたら、楽天家になれるのか?
その方法はこれから勉強します。
想像を巡らせるて、妄想を膨らませるうちに疑心暗鬼になり、悲観するより遙かにいいと思います。
最近思いました。100歳の自分からみて、残り2年はあっという間で、そこで大変だったこととかも笑い話になるだろうと。
あの時「逃げなかった自分、エライ」と誇りに思えるんじゃないかとね。
いつか、この苦境を笑いに換えた経験を書きたいと想います。
こうして、定年を迎える2年前の初夏、僕は定年退職した自分に向けてこの手紙を書き始めた。
定年した僕が、あとからサラリーマン生活終盤の葛藤をふり返る記録になるだろう。
後々のためだけではない。
文章を書くということは、心を支える取組になることがある。
初めは愚痴の記録として書き始めても、次の文節を探している時に、自分のなかに正確な言葉を探しにいこうとする。
すると、自分のなかにどろどろとした怨念ではない、とても、清廉なものが見つかることがある。
定年した僕は知りたいだろう
定年までの二年間、僕の周りでは、どのような変化が起きて、その時、自分はどう考えていたのか。
定年で会社を去ること
定年退職者後の日々に起きたこと
いつか「60できっぱり辞める」という同じ道を進む人の参考になればいいと想う
(不定期連載)
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