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2022年1月 6日 (木)

優しすぎるサポーター改め、V・ファーレン長崎ファミリーの皆さんへ

V・ファーレン長崎ファミリーの皆さん
改めまして、明けましておめでとうございます

これまではファン、サポーターと言ってきましたが、今年はファミリーと記述しようと想います。


2018年、V長崎の応援を始めた時、サポーターを自称するのはおこがましくて「にわかファン」と自嘲していました。
これから、ファンとして修行を積んで、いつかは自らサポーターを名乗れるようになりたいと想っていました。

そうなると、気になるのがどこまでがファンで、どこからがサポーターなのか?ということです。

細かいことが気になるので、調べたところ、日本サッカー協会は「Q&A」として次の見解を示していました。

「一般的に、サッカー好きな人をファン、熱狂的なサッカーファンや特定のクラブチームを支持している人をサポーターと呼んでいます」
*出典 日本サッカー協会のウェブページ

「特定チームを支持する人」がサポーターならば、V長崎を応援する時点で僕はサポーターということになるのですが、ちょっと違う気がします。

そこで、自分なりにこう定義しました。

■ファン
・サッカーは好きだけど、特定の贔屓チームはない
・特定のチームが好きだが、観戦に行くほどではない

■サポーター

【A】定義はサポーターだが、自分がどう思うか
■贔屓チームの試合に行くが、ゴール裏には行かない
■スタジアムに足を運び、ユニフォームも着用するが、静かに観戦する

【B】傍から見ればサポーター
■スタジアムではゴール裏に入り、試合中は声を出して応援する
■クラブの行く末を案じている

これに当てはめると、応援初戦のベルマーレ湘南戦は「ファン」2戦めの鹿島アントラーズ戦からは「サポーター」でした。


こう定義してから4年が経った今、こう想います。
「ファン」「サポーター」どちらか?という設問自体が要らない。

そして今、しっくり来ているのがファミリーという概念です。
最初に接したのは Sports for Social に高田春奈社長が寄稿した文章でした※ その後も春奈社長がスピーチで使っていたと想います。

※⇒『愛と平和と一生懸命』~V・ファーレン長崎・髙田春奈社長の平和への想い~
2021年6月


V・ファーレン長崎には「優しすぎるサポーター」という言葉があります。
試合に負けた選手たちに温かい拍手を送る。コロナ禍前ならば激励の声をかけることで、そう呼ばれるようです。

こういうサポーターに対して「負けた時に非難しない、罵声を浴びせないのは真のサポーターではない」という意見があるようです。
とても嫌いな言葉ですが、それは「お花畑」だというわけです。

負けた試合が、とても不甲斐ないものであった場合。具体的にいうと技術の巧拙は別として「あと一歩」を躊躇するという場合、それは罵声の対象かも知れません。
ただ、それを罵りたいかどうかは人それぞれです。

以前、優しすぎるサポーターとは「謙虚で冷静、温かい態度をとるサポーターという意味だと理解している」と書きました。
V・ファーレン長崎には、そういう選手たちが集まって来るから、呼応してサポーターも同様の態度を採る関係性なのだと。

試合開始前、敵地に乗り込んだゴール裏から、ホームサポーターを挑発する行為。試合の間じゅう、敵味方のプレーや身体の特徴をディスり、試合に負けたかえり道「引いて守って卑怯だ」と言うような言動。
これらは、クラブに集う人達が醸成する空気の中で生まれ、伝統として引き継がれます。
V・ファーレン長崎と、そこに集う人々は、そこを目指していないと信じています。

ただ「優しすぎるサポーター」という言い回しは、どこか自虐的でしっくりこないと想っていました。
そこで、ファミリーです。

選手が「共に戦ってください」と求めて言うのは、勝利の祈りと拍手を送ってということであり、仲間うちや、対戦相手の選手・サポーターといがみ合うことではない。

チームの戦力を心配し、週末に「サッカーがある」ことを楽しみにする。それが、V・ファーレン長崎ファミリー
今年も、ファミリーの皆さんとワクワク・ドキドキ、できればウキウキの時間を過ごしたいと想います^^)


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