人生には、知らなくていいことが、あふれている。
安倍晋三さんが亡くなった
お昼のニュースで一報を知ったあと、これまでに経験したことが無い気持ちでニュースを見続けていた。
なんとか医療の力で戻ってきてほしい。願い続けた。
速報を知らせるチャイムが鳴り、字幕で訃報を知ると力が抜けた。
命の儚さを考える6時間だった。
謹んで安倍晋三さんのご冥福をお祈りします。
ご家族、支持者の皆さん、安倍さんを慕う皆さん、お悔やみ申しあげます。深い悲しみをお察しします。
■安倍晋三さんについて
衆議院議員 山口4区
1954年9月21日
衆議院議員 安倍晋太郎の長男として生まれる
1977年
成蹊大卒業。卒業後2年間カリフォルニア大学政治学科に留学。帰国後神戸製鋼に入社
1991年
秘書をしていた父・安倍晋太郎が急逝
1993年
7月、衆議院初当選
2000年
第二次森内閣で内閣官房副長官
7月30日、ラジオ日本「政界キーパーソンに聞く」に出演。次のように語っている
(「日本が動く時」長野祐也編 ぎょうせい から引用)
国民と共に、やはり私どもの歴史や文化、伝統にもう一度目を向け、思いをはせながら誇りを回復していく。そこからそれを土台に世界に対してちゃんと責任をもって貢献をしていく。そういう責任のある風格のある国をつくっていきたい
(引用おわり)
2001年
小泉内閣で内閣官房副長官
2002年
北朝鮮拉致問題解決に積極的に取り組み、9月には小泉総理の北朝鮮訪問に同行
2003年9月21日
49歳の誕生日 自民党幹事長就任が明らかになる。40代での幹事長就任は過去に3人(田中角栄、小沢一郎の47歳、三木武夫49歳)
2006年
7月「美しい国へ」出版
9月20日、麻生、谷垣、安倍で争った自民党総裁選挙で当選
9月26日、内閣総理大臣就任(就任時52歳)
2007年
9月12日、辞任を発表。潰瘍性大腸炎という難病を患っていたのが原因だった。それを公表しなかったため、政権を投げ出したと見なされてひんしゅくを買った。
2009年1月28日
麻生太郎首相の特使としてイラクを訪問
2012年
1月、首相退任時、潰瘍性大腸炎を患っていたことを公表
9月26日、自民党総裁に選出された。
12月16日、第46回総選挙 過半数を獲得して政権奪還
12月26日、2度目の総理大臣就任
2013年9月7日
東京2020招致に成功
2015年
集団的自衛権を行使する閣議決定。安全保障関連法を成立させた
2016年8月22日
リオ五輪閉会式でマリオに扮しドラえもんの土管を通って日本からブラジルに現れるパフォーマンスを演じた。
自民党は現行「2期6年」の総裁任期を「3期9年」に延長する党則改訂の議論に入ると報道された
2018年9月
2期6年の任期満了 党則改正により3期めとなる総裁選で3選
2019年11月
通算在任期間が憲政史上最長となる
2020年
8月24日、連続在任期間が歴代最長となった
8月28日、潰瘍性大腸炎の再発を理由に首相辞任表明。前回の辞任同様、SNS、メディアを通して聞かれたコメントには、心ないものを含め厳しいものが多かった。
→安倍総理辞任へのコメント
2022年7月8日
参院選の応援演説中、凶弾に倒れる 67歳だった
18:00から始まるとされていた病院側の会見がNHKで放送されていた。
18:07に医師が着席して司会が始めようとした時、一部の報道会社が「ちょっと待ってください」と制して、医師と報道各社が6分待たされた。
それはないんじゃないか?
と腹が立った。何かに対して怒りたかったのだと想う。
医師の会見は長くつづいていたが、人がどのように死んだかを問い詰め、犯行動機や患者や家族の印象までを医師に問う記者の質問を聞いているうちに気分が悪くなり、20分ほどで見るのをやめた。
人生には、これから知りたいことが、まだまだある。
その一方、人生には、知らなくていいことが、あふれている。
見たくないものは行動の暴力であり、聞きたくないのが言葉の暴力だ。
体と心の健康を維持して、ものごとにこだわらず、生きていこうと想う。
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