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2022年9月 9日 (金)

W杯6大会連続出場 ポルトガルの歴史(1)

デコの代表入りと機を同じくして代表入りしたクリスチアーノ・ロナルドが、今回のW杯を最後に代表引退を表明するかも知れない。

ブラジル人のデコがポルトガル代表入りしたのが2004年。
デコを誘った当時のポルトガル代表監督はルイス・フェリペ・スコラーリ。
ブラジル代表監督としては2002W杯(優勝)、2014W杯(4位)を指揮。
現在はカンペオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル国内リーグ1部)アトレチコ・パラナエンセの監督を務めており、直前に解任された前任者がファビオ・カリーレ、現V・ファーレン長崎監督である。


デコの加入から、ポルトガル代表を追いかけて、はや18年。
そのデコは既に2010年、悲運のW杯を最後に代表を引退している。
(その後、2014年に現役引退)
デコ・ファンクラブ仲間の間では「引退後は指導者としてJリーグに来て欲しいね」と話していたが、本人は指導者に興味がないらしい。


ユーロでは2016年に優勝したポルトガルだが、W杯は初出場(1966年)時の3位が最高位。
優勝に絡むには、稀代の名選手ロナルドが居る今大会が大きな節目となる。
ロナルドがここに居るうちに、ポルトガルの初優勝を祈る。
これから数回に分けて、11月に開催されるW杯2022カタール大会に出場するポルトガル代表の主な歴史をご紹介していきたい。


ポルトガル代表のエンブレムはポルトガル国章に由来している。
十字架はカトリック教徒。中央にあるさいころ5の目のマークは盾。
初代国王がイスラムとの戦いで5つの盾を割られながらも勝利した故事に因む

 
2006 2nd ユニフォーム

■ポルトガル代表の歴史(1966年以降)

●1966年 W杯
W杯予選初参加から32年を要してW杯初出場 3位
グループリーグでは、ブラジルを破った


●1986年 W杯
20年を要してW杯2度めの出場 グループリーグで敗退


◆2000年 ユーロ
ユーロ2000 3位 23歳のヌーノ・ゴメスが中心選手だった


●2002年 W杯
16年を要してW杯3度めの出場 グループリーグで敗退
韓国開催のグループDで敗れ(後述)日本でポルトガル代表を観ることはできなかった


2003年
1月、2002年W杯ブラジル優勝監督ルイス・フェリペ・スコラーリ(ブラジル人)が監督就任
3月、スコラーリの誘いで、当時FCポルトに在籍していたデコ(ブラジル人)が初代表入り
デコの代表デビューとなったブラジルとの親善試合では、デコのFK直接ゴールが決勝点となり2-1で勝利

ブラジル人のデコがポルトガル国籍を取得してポルトガル代表入りすることに対して、フィーゴを初めとする数人の選手がメディアを通して批判していた
デコは祖国相手に決勝点を決め、ポルトガルにとって 1966年W杯以来37年ぶりの対ブラジル戦 勝利をもたらすという結果を出し、批判を一気に封印した


◆2004年 ユーロ
ロナルドとデコが揃って2大大会(W杯・ユーロ)にデビューしたのが2004年

「ユーロ2004」をポルトガルで自国開催
クリスチアーノ・ロナルド(19歳)、デコがユーロ初出場
4-2-3-1 のトップ下がデコ。右ウィングにロナルド
決勝でギリシアに 0-1 で敗れ準優勝


2004-05
フィーゴ、ルイ・コスタ、フェルナンドポートが代表引退
MF20デコ(FCバルセロナ)、18マニシェ(FCポルト)、FW17クリスチアーノ・ロナルド(マンチェスター・ユナイテッド)、DF16リカルド・カルバーリョ(チェルシー)らが中心となる
W杯予選で苦戦して フィーゴ(レアル・マドリー)が代表復帰


●2006年 W杯
ドイツW杯 4位
ロナルドとデコがW杯初出場

3位決定戦で、ポルトガルが苦手とするドイツに敗れた
その試合は上川徹主審、広嶋禎数副審が担当
W杯3位決定戦を日本の審判が担当するのは初めてだった。
試合後、上川主審への感想を聞かれたスコラーリ監督は、こう述べた
「とてもよかった。多くの人が日本の審判がこれほどのレベルだとは想っていなかったはずだ」


この大会では現地入りしたデコ・ファンクラブ仲間のNACさんが、現地からレポートを送ってくれた。
その内容を以下に掲載している。

デコファンクラブメンバーによるドイツレポート

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