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2022年9月10日 (土)

W杯6大会連続出場 ポルトガルの歴史(2)

2007年
ペペ(レアル・マドリー)がポルトガル市民権を得て代表入り
2003年のデコ以来、2005年のデルレイ、ペペ、2009年のリエジソンといったブラジル人選手がポルトガル代表入りしている


◆2008年 ユーロ
ユーロ2008 ベスト16

準決勝での対戦と想われていたドイツがB組2位通過となったため、1試合早い準々決勝(ベスト8)で対戦。またしてもドイツの壁を破れず

残念だったのは、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督がこの大会後、ポルトガル→チェルシー監督に転身することが、準々決勝の試合前に報じられたことだ。
これでチームには、今ふうにいえば「モヤモヤ」したムードが出てしまった

スコラーリの後任としてカルロス・ケイロス監督が就任したが、この人事がチームの迷走を招くことになる。


●2010年 W杯
南アフリカW杯 ベスト16
(ラウンド16でスペインに敗戦)

32歳10か月で2度目のW杯を迎えたデコにとって、W杯優勝を経験する最後のチャンスと期した大会だったが、結末は悲しいものだった。

G組1節コートジボワール戦
ケイロス監督は試合途中、デコに体験のない右ウィングを指示
後半16分にはチアゴと交代でベンチに下げられた
デコのプレーに精彩がなく致し方なしという交代だったが、試合後、デコが立ち位置について言及。

つづく2試合、北朝鮮戦、ブラジル戦は負傷欠場を示す「i」マーク扱い。
デコ・ファンが夢見ていた、ブラジルとの祖国対決が実現したというのに、そこにデコの姿はなかった
ラウンド16のスペイン戦ではベンチ入りしたが、出場なし
ハーフタイムに映し出された、ビブスをつけて体を動かすデコの寂しげな姿が忘れられない。


スペインとの試合後、デコは代表引退を発表した。

(Brasil Midia Digitalより引用)
「今日は私の最後のゲームでした。私は幸せです。私は多くの友人を作りました」
「最初のゲーム(コートジボワール戦)はプレーしました。そして、私はこの障害を抱えていました。プレーすることは難しかった。これはトレーナーの決定です」
(引用おわり)

「私は幸せです。私は多くの友人を作りました」
という抑制したコメントに、彼の苦悩が窺えた。
それが、どのような苦悩だったのかは、本人に聞いてみなければわからない。


日本のサッカー月刊誌に「辛口デコのランサメント」という連載記事を持っていたデコは、辛辣な物言いをする選手だと想われていた。

だが、それは意味も無く毒舌なのではなく、誰よりも本質をとらえ、チームやサッカー界のために物言う役を買って出ていたからだ。

結果的にその言葉が災いし、W杯2010では活躍の場を失ったようにみえた。
サッカー選手の全盛期は長くない。その大切な機会を棒に振ったことが、ファンとして辛かった。
デコが出した「大人のコメント」に、彼の懐の深さをみた。

デコは大会後、チェルシーから母国ブラジルのフルミネンセに移籍。
途中からだが、その年のカンペオナート・ブラジレイロ優勝に一役買った。

2013年8月、誕生日の前日に35歳で引退を発表した。


司令塔のデコが去ったが、アタッカーのロナルドが居るうちは、ポルトガルの応援を続けようと想っていた。


2010年8月
W杯の翌月、ケイロス監督はポルトガル・サッカー協会から 1か月ベンチ入り禁止処分を受け※ 9月には解任された。
後任はパウロ・ベント

※5月のキャンプ中、反ドーピング機関が抜き打ち検査にはいった際、医師団を侮辱したことによる

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