大学そばの下宿 1年で全員が出ていく百道荘
僕が曙荘に住むことになったのは、大学2年に上がる時、新たな住処を見つける必要に迫られていたからだ。
そんな時、曙荘を見つけたのは唐津から来たKのお陰だった。
大学1年生を過ごした下宿(間借り)「百道荘」には「全員が1年で出ていく」という不文律があった。
そう契約書に謳われているわけではない。
だが毎年、大学1年生が入居して、1年後には全員が出ていくのである。
現在、福岡タワーやドームが建っている百道(ももち)が埋め立てられる前。
海に近い百道2丁目に百道荘があった。夏場には海辺の空き地に出て涼んだものだ。
同じ大学に進学する同級生、岡田がそこを見つけてきて「まだ部屋の空いとったばい。一緒のところに行こうで」と誘われた。
探す手間が省けるし、何より学校まで徒歩5分の近さに惹かれて決めた。
部屋は四畳半の畳と半畳の押入れ。
流し台・コインランドリー・トイレが共同。
風呂は20時過ぎ、廊下のインターホンから「おふろどうぞ!」と声がかかり、一階に住む鈴木宅に入りにいく。
私の記憶が確かならば・・家賃は17,000円だった。
建物は割と新しくて、床がきしむといった不具合はない。
湿気がこもるということもなく、虫に悩まされるわけでもない。
それでも、1年で全員が出ていく理由は、百道荘の事細かな規則にあった。
1.自炊禁止
部屋で火気を使用してはいけない。
仕送りの多い連中は「オール外食」だったが、1日の食費が500円の僕は、そうはいかない。
猫の額ほどの流し台はあったが、そこは洗い物ができる程度。もちろん、コンロなどの調理器具はない。
八代から来たマツダ(※後述)は「火ば使わなよかとやろ」と、ホットプレートで自炊していた。
そんなハイカラな機器を持たない僕は、こっそりとカセットコンロを持ち込んだ。
ある日、畳の上に直にフライパンを置いて、畳を焦がしてしまった。
(フライパンの熱で畳が焦げると思わなかった)
夏休み明けに佐世保から戻ってくると、大家さんにしっかりばれていて「次にやったら出ていってもらうよ」と怒られた
2.22時を過ぎて他の部屋に行ってはいけない
騒いではいけないということだ。
「3人以上が集まってはいけない」という規則もあった気がするが定かではない。
そうはいってもスマホもゲームもない時代、自然と特定の部屋が「たまり場」になる。
割れるくらいに声が上がると「ぴー」っとインターホンが鳴り「何時て思っとーとね!年寄りは寝られんとよ!」と苦情を言われた。
夜中に小さな物音で目が覚める今となっては、この気持がよくわかる^^;)
3.門限22時
門限を過ぎると勝手口のドアが施錠されるので、鍵を持たない僕らは家に入れない。
遊ぶ金もない僕にとって、これは苦にならなかったが、なかには勝手口ヨコのサッシの鍵を開けておくツワモノもいた。
4.女性立ち入り禁止
女性の友達を部屋に入れてはいけない。
今となっては謎な規則だ。大家さんは僕らの健全な?成長を願っていたのだろうか。
残念ながら・・というか、この規則で困っている同居人はいなかったようだ。
僕が知らないだけかもしれないが
百道荘は2階に9部屋があり、海辺にある2部屋のうち1つが空き部屋だった。
そこに入り手がなかったのか、大家さんの意向で貸していないのかは、誰も知らなかった。
入居した時、8人全員が大学1年生。
授業が終わり、それぞれの夕飯が終わる。人恋しいなと思えばすぐ側に同級生
どこかの部屋で一同が集まるということはなかったが、暇な時は互いの部屋を行き来して雑談した。
僕らが社会に出て探す自由とは違うけれど、使える時間としての自由がふんだんにそこにある。
大学に4年行く良さの一つは、そのありあまる余白を埋める経験にある。
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