曙という漢字を知らなかった僕が曙に曙荘を見つける
後期試験が終わると長い春休みに入り、大学1年生が終わる。
1年で全員が出ていく百道荘では、共に過ごした7人に別れの時がくる。
この時の僕らは「誰か一人でも残ってくれれば、またここに遊びに来れる」と考え始めていた。
「昔住んでいたんですけど、部屋の中を見せてください」
ということなく、堂々と屋内に入ることができる。
そんな時、八幡から来たTが「俺は残るよ」と言い出して、皆が色めき立ったが、結果的にそうは成らなかった。
「大家さんから一人だけ残らないでと言われたらしい」
という噂が、僕らの間でまことしやかに語られた。
一人また一人と「アパート決めてきた」という報告が聞こえ始める。
百道荘を教えてくれた同郷の岡田は祖原にアパートを決めてきた。さすがにそこには僕が入れる部屋はなかった。
そんな時、唐津から来たKが曙荘に決めた。
まだ、そういう名前の相撲取りは居なくて、僕は曙(あけぼの)という漢字も知らなかった。
1年間暮らした百道荘の四畳半はさすがに手狭だった。
アルバイトの収入が増えていた僕は次のような条件で、アパートを探し始める。
・6畳
・バス・トイレ・キッチン付き
・家賃25,000円以内
この予算では築*年といった贅沢は言えない。
コンビニが近いとか、そういう条件に気は回らなかった。
しかし、大学のそばでは見つからず、徐々に範囲を広げていく。
ある不動産屋に赴いた時のことだ。
おじさんから「なぜ、今のところを出るとね」と問われた。
僕が百道荘に住んでいて、そこは1年で全員が出ていくのだと答えると、おじさんは沈痛な顔をして言った。
「鈴木さんところねぇ。1年で全員が出ていくのは、なんとかせんとねって話してるんだけどね」
Kが曙で見つけたのを思い出し、なんの気なく「友達が曙荘というところに決めたんです」と言ってみた。
すると、おじさんが「確か、2階に一部屋空きが出とるよ」と教えてくれた。
条件にドンピシャリ。その場で申し込んだ。
結局、大学では3軒の賃貸に住むのだが、一度も現地を下見に行っていない。
周りの学生たちが、どうしていたかはわからない。
「内見」「内覧」という言葉を知ったのは、ずいぶんあとのことだ。
先に決めたKは日当たりの悪い一階奥の部屋。
二階の部屋には、わずかに陽が入った。
なんだか申し訳なく想い、Kには「後から追いかけてきてゴメンな」と謝った。
物事に動じない優しいバンドマンKは「よかよか、そんなん、気にせんけん」と笑ってくれた。
こうして僕は二年間、曙荘に住むことになる。
曙荘の暮らしは快適だった。
玄関を入ればそこは僕だけの住処
賃貸ではあるが、生まれて初めての「一国一城の主」
当たり前のことだが、自炊できる、門限はない、女性の出入りもOK
風呂の順番を気にせず、トイレの前で待つこともなく、好きな時に炊事場に立ち、食器をシンクに溜めておける。
ゴミの捨て方が悪いとか、洗面所に髪の毛が落ちていると言われることもない(笑)
住空間を一人で専有できるということの、なんと自由なことか
「安い」「美味い」「多い」食堂、学生の味方「黒田庵」を知ることができたのは、曙に越して来たなかでも行幸だった。
| 固定リンク | 0
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 貸し切りの平和祈念像 長崎稲佐山スロープカー(2025.02.05)
- 初日から速さに目を見張ったFLAGSHIP STOREの会計オペレーション(2025.02.02)
- 磨き抜かれた夢の街 長崎スタジアムシティ開業 しらべるが選ぶ2023年の5大ニュース【1】(2024.12.28)
- 東町運動公園とアダストリアみとアリーナが頭の中でつながらない(2024.12.23)