2022年9月、黒田庵の跡地は焼鳥店だった
50mほどの「カピタン通り」を通り抜ける
昔と変わらない「押しボタン式歩行者信号」の先、居酒屋の外壁に「じゃがいも」と書かれている。
進路を左にとり、ニチイの交差点へ
ニチイはすでになくなっている。
アルバイトで作ったお金でスピーカー(ダイヤトーンのDS-25B)を買ったベスト電器。佐世保のベスト電器と同様、二階のオーディオ売り場が僕の憩いの場だった。
建物はそのまま残っているが、シャッターは閉まったまま。閉店したのだろう。
「ちょびっと」に広告をもらった縁で通い始めた美容院「MIKI」は、もうない。
僕に「髪の手入れの大切さ」を教えてくれた恩人の店主は、今もお元気だろうか。
気温は30度を超えている。
もう貸自転車はあきらめた。
ここから細い路地を、進路を南にとって曙(あけぼの)へ
いよいよ、西新散策の本題「黒田庵」の現在地を見に行く
アパートからは徒歩3分ほど。
私の記憶が確かならば・・
今から40年前、中定(ちゅうてい=中定食)が250円、上定(じょうてい=上定食)が350円だった。
1日にかけられる食費目安が500円だったので、毎日というわけにはいかないが、週に1度は通っていたと想う。
定食以外にも、丼もの、カレーがあった。
業務用印度カレーでつくるカレーのコク深い家庭の味が忘れられない。
いつもニコニコ笑顔の大将と「今くるよ」または「めぞん一刻の一の瀬さん」に似た奥さんのご夫婦がやっていたお店。
2003年にご主人が天国へ旅立たれたと聞いたのは、2009年に訪れた時だった。
お店は奥さんが続けられていて「跡継ぎは修行中」とのことだった。
2014年に訪れた時は、黒田庵の看板は外されて、たこ焼店になっていた。
(お店の中には入らなかった)
2020年に撮影されたGoogleストリートビューでは(曜日時間帯が不明だが)ひっそり静まり返っている。
そして2022年9月、かつての黒田庵には「焼鳥ばら家」「準備中」の札があった。
営業時間外らしくシャッターが閉まっているが、焼鳥店が営まれている様子。
從って、かつての店主との関係はわからない。
現地に足を運び、この目でこの場所がどうなっているかがわかれば、それでいい。
後日談
もう、強く知りたいとは思っていなかったが、現代社会には「Google先生」という調査機能がある。一応「焼鳥 ばら家 早良区曙」でしらべると、グルメサイトの掲載はなく、出前館に名前が載っているのみだった。
二年間住んだアパート曙荘は、リノベされて名前は変わったが、そのまま残っている。
アパートの前にあった広大な資材置き場には、大きなマンションが建っていた。
「兄ちゃん、さっき警察が来ちょったぞ」
ある日、僕が二階の部屋に帰ってくると、資材置き場のあんちゃんに下から声をかけられた。
「婦女暴行か?」
僕が苦笑いすると
「未遂はいかんぞ、ちゃんとやらんと」
周りのあんちゃん達が、どっと湧く
そんな軽口がたたける時代だった
警察が来たというのに心当たりがあったが、それを説明するのは野暮なのでやめておいた
「家、ついて行ってイイですか? 」というテレビ番組はあるが
「昔住んでいたんですけど、部屋の中を見せてください」
という番組はない。あったら、楽しいのにな
昔住んでいた人が、今住んでいる人と語り合うひととき・・
現実には難しいけれど、実現できたら、妙な可笑しさがあると想う
昔の写真を見せながら「このあたりにカラーボックス置いてたんですよ」とか「家賃は今いくらですか」とか・・・
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