ミニコミ誌「ちょびっと」とさわむらのママ 50m横丁「カピタン通り」の昔と今
脇山口で100円ケーキを売っていた店、文具屋さんなどは見当たらない。マクドナルドは商店街へ移転している。
かつて、脇山口バス停前に「珈琲舎 さわむら」という老舗の喫茶店があり、いつもミニコミ誌「ちょびっと」に広告を出してもらっていた。
「ちょびっと」は、西南学院大学の学生向けに 4,000部程度を無料配布していたミニコミ誌。
配布開始日にはメンバーが学内で手配りし、生協にも置いてもらった。
手配りしていると 「私にもください」と学生が集ってきて 「いつも楽しみにしてます」という声が聞かれて嬉しかった。
無料ということもあり、印刷した部数すべてが、残ることなく配布できていた。
後輩の部員によると、1994年頃にはなくなっていたという。
1994年といえばまだ、インターネットもスマホもなかった頃だが、80年代と比べると情報収集の手段が増えており 「ミニコミ誌で情報を届ける」という動機づけが難しくなっていたのだろう。
誌面に掲載する協賛広告料は大きさによって、1,500円、3,000円、5,000円、10000円。
僕らはその広告効果を、今でいうところのエビデンスをもって説明することはできず、ただただ「よろしくお願いします」の一点張りでお願いに回った。
実際、どれだけの広告効果があるかは測れない。断られる店のほうが圧倒的に多い。
協賛してくれるお店側としては、清貧学生へのカンパのようなものだったかと想う。
それでも「さわむら」のママは、いつ頼みに行っても即答の笑顔でOKしてくれた。
当時、こんなことがあった。
僕が毎日通っていた喫茶店「ロッキングチェア」のカウンター*に座っていると、隣にどこかで見たことのあるおばちゃんが座った。
*喫茶店のカウンターにロッキングチェアが並んでいた
僕はすぐ「さわむら」のママだと気づき、挨拶しようとすると、ママは口の前に指を立てて僕を制した。
素性を明かしたくなかったのだろう。
すると勘の鋭いマスターが気づき、しばらく同業者の世間話をされていた。
今でも、そのお顔が強烈に脳にやきついている。
「さわむら」は今はもうない様子。
国道263号線を渡り、通称「カピタン通り」を目指す
そこは商店街から入る狭い横丁。通りの長さから「50m横丁」とも呼ばれていたが、僕らの仲間はそこにある珈琲屋「甲比丹」の名前を冠してそう呼んでいた。
「Google先生」によると、2022年の今は「おもしろ21」という通り名らしい。
「カピタン通り」にはいくつかの喫茶店、焼鳥屋、ファンシーショップなどのこぢんまりした店が並んでいた。
■1980年代前半、カピタン通りにあった店(当時のちょびっとより抜粋)
珈琲屋 甲比丹
パブ トーテンポール
喫茶 山小屋
リビング用品 パンダ
喫茶 Cafe de Coupe(くうぷ)
喫茶 ARATAMA
音楽喫茶 DIG
居酒屋 館酉吉珍
焼鳥 草野球
パスタ パスティーナ
貸本 ぴらみっ堂
レストラン Strawberry Fields
たこやき あま太郎
客層には学生が多いこともあり、ミニコミ誌「ちょびっと」の制作に入る時には、よく広告取りに通ったものだ。
カピタンもパンダも、名前を覚えている店はなくなっていたが「Strawberry Fields」だけは、昔の佇まいそのままにそこにあった。
アイスコーヒーを飲みながら「昔、広告いただいてました」と話を振ってみようか・・
いや、僕はこの店の(広告を取りに行く)担当だったことがない。
それじゃ、ストーリーに偽りありだと思いとどまると、テレビ局と思われる高価な機材を抱えた一行が店に入っていった。
今はスイーツの銘店として人気らしい。
1980年以来、同じ場所で続いている店というだけで、取材を受けるだけの価値がある。
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