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2022年11月 5日 (土)

「お荷物を預かっています 202号室 moto」

「お荷物を預かっています 202号室 moto」

そのメモを見て2つとなりの高田さんがやって来たのは、日の入りが遅い福岡の陽が落ちてからずいぶん経っていた。コンコンとドアをノックして

「すいません、荷物・・」
廊下に女性が立っていた
驚いたのはその暗さだ。廊下の灯火が暗いのもあるが、なにか怒っているの?と思うような暗さ。今でいう「テンションひくっ」である。
確かに彼女にしてみれば、業者に注文したのに、なぜ見ず知らずの隣人から受け取らなければならないのか?という不満
変な人(僕のこと)だったら、どうしようという不安
その心境は複雑だっただだろう

僕が玄関脇に立てておいた荷物を渡すと、彼女は「どうも」くらいは言ったかも知れないが、とにかく愛想なく帰っていった。
荷物を預かったくらいで菓子折りを持って来るとは思わないが「ありがとう」くらいは言われるかと思っていた。

まぁ、いいか
都会のアパート暮らし、隣人との交流は必須じゃない
もう二度と話すこともないだろう

しかし、1時間後、再び彼女はやって来た。
コンコンとドアをノックして

こんな時間に客とは珍しいなとドアを開けると、さっきの暗い女が立っていた。
もしかして、お礼にお菓子でも持ってきたのか

「すいません、荷物」
きょとんとする僕
「一つでしたか?」

は?いや1つですよ。え、違うんですか?
「2つ頼んだんですけど」
いや、1つしか預かってないですよ
「わかりました。それじゃ業者に聞いてみます」

そう言って、またも愛想なく帰っていった。
まさか、僕が1つがめたとでも思ったのだろうか
そんな人いるか?
そう思っても後の祭り。
もう二度と話すこともないだろう

だが、数日後、そんな高田さんと友達になる


大学周辺のアパートは、学年代わりの4月を機に一斉に入居者が入れ替わる。
隣りに高野が引っ越してきたのは、前期が始まり履修届けが締め切られた頃だった。

実家の飯塚から大学まで片道2時間かかる高野は、履修を組んでみて「通いはきつい」となったのだろう。

ある日、滅多に鳴らないインターホンが鳴り、そこには野武士のような風貌の男が立っていた。

「となりに引っ越してきた高野です」
引越の挨拶なんて律儀だ。手土産は多分なかったと思う。
互いに自己紹介すると、僕らが同じ大学の同期生であること。彼は一浪していて年は僕より1つ上であることがわかり、すぐにため口の関係になった。

「それなら、ヒロミちゃんはもう知っとーと?」
ヒロミ?一瞬なんのことかわからなかったが、それが高田さんのことだった。
高野は既に高田さんと会い、よい関係を築いているらしい。

なんという社交性!
その時は、あの暗い女とどうやって打ち解けたのか不思議だった。

僕が荷物の一件のあらましと、恐らく彼女は僕によい印象を持っていないはずと伝えると、高野は一笑に付した。
「そげんことなかて。したら、おいんちで集まろうぜ」
高野の音頭で、その日のうちに高野の部屋で三人で集まることになった。
僕が荷物をガメたと想っているかもしれない高田さんが、果たして来るのだろうかと想いつつ、近くのサンチェーンで買ったビールとお菓子を持って高野の部屋を訪れた。

部屋はがらんとしていて、高田さんはまだ来ていなかった。引っ越したばかりのせいか「こたつ」も「テレビ」もない。ましてやストレートコーヒーもない。

「たかだでーす」
しばらくして、ぶっきらぼーな挨拶で高田さんが入ってきた。

蛍光灯の灯りのせいか、彼女はとても明るく見えた。
学年は僕らの一つ下。つまり大学入学と同時に一人暮らし。

「あの時はすみません。業者の手違いであとから1つ届きました」
窓辺に2つ並べて掛けようと注文したブラインドが、1つしか届かなかったらしい。

語り口は朴訥。あの日、怒っているようにみえたのは僕の想い違いだった。
はにかんで笑う姿は、素直な18歳

その日から、高田さん改めヒロミちゃんと呼ぶようになった。

その後も、高野の部屋にはよく友達が訪れ、壁伝いに賑やかな声が聞こえた。
それは大人になって体験した隣人の喧騒ではなく、ちょっと羨ましくもある賑わい。同じ音なのだが「賑わい」と「喧騒」に分かれるのは、その声の主に好意を持っているか否かだと、今にして思う。

ヒロミちゃんの女友達グループが混ざって集まることもあり、その時は高野が「お前も来んや」と声をかけてくれた。
ただ、他人の仕切りでは壁の花になる僕の特性は、この頃から始まっていたようで、快活に振る舞うことができなかった。

 

高野の部屋に溜まり場三種の神器( 「こたつ」「テレビ」「飲み物」)はなかったが、
彼自身に溜まり場の三要素「人の話を聞く姿勢」「穏やかな人柄」「癒やしの雰囲気」が備わっていた。
ただ、それを言語化して理解し、自分の姿勢を再構築することは、20歳の僕にはできなかった。

コロナ禍で三年ぶりのさとがえり(目次)

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