RZ350とYAMAHAの銀ジャケット
僕は1年生夏のアルバイトで買った原付バイクから中型二輪のRZ350に乗り換えていた。
RZ350は当時、バイク乗りとバイクに憧れる青少年の間で垂涎の的となっていたバイク。
1981年3月の発売直後、池沢さとしの連載マンガ「街道レーサーGO!」の題材となり「青い流れ星」「ナナハンキラー」のニックネームがついていた。
■YAMAHA RZ350
価格:408,000円
エンジン:2サイクル 349cc
馬力:45ps
先行して発売され絶大な人気を誇っていた「RZ250」の350cc版。
中型二輪は排気量が251ccを超えると車検の義務がある。
「RZ350を選ばない」人たちは、それを理由に挙げていた。
維持費を理由に二の足を踏む人が多く「売れない」という下馬評を覆し、RZ350はよく売れた。
その理由は、白地に青・水色のライン(タバコのパッケージの色にちなんでゴロワーズカラーと呼ばれた)という上品なデザイン。
それが、当時のバイクでは常識はずれの加速で走る。
六本松にあったバイクショップBLUENOTEの店主は「羊の皮をかぶった狼」と表現していた。
サトウ君(仮名・・というより知らない)は福岡市内の大学生で、休日には三瀬によく来るという。僕の同志だ。
ライダーはむき身で走っている。
バイクを止めればすぐにむき出しの人となる。
ライダーが2人バイクを止めれば、すぐに「バイクいいね」「どこから?」という話が始まる。
でも僕らは一期一会だ。連絡先を交換しようということはない。
互いのバイクについて。走りに行く場所について。僕らがライダー同士でしかできない話をしていた時、佐賀側から上って来た1台の黒い影が頂上の県境を越え福岡側へかっとんで行った。
その速さは、ピットアウトしたGPライダーが意を決してコースインする姿を彷彿とさせるような、一般人による公道の走りとしては、危うさが感じられるものだった。
「にーはん(RZ250)ですよね」
飛ばしてましたねぇ^^;)
黒い影はRZ250。250には黒と白の2カラーがあり、黒の250だった。
友達の熊本が黒のRZ250に乗っているので、もしやと想ったが彼ならば僕に気づいてバイクを停めただろう。
僕はいつも、100m先から見てもわかるようなYAMAHAの銀ジャケットを着ていた。
銀色に青いラインが入った見た目は、さながら宇宙服。
似たような衣装でアイドルデビューした島田歌穂が西南に来て取材させてもらった時は大いに共感を覚えた。
仲間は「motoが学食に入ってきた瞬間にわかる」と言っていた。
15,000円という自分史上最高額のこの服が僕のトレードマーク。
授業に出る時、学食に行く時、バイトに行く時・・
気に入るとこればかり着ているというより、これしか着るものがなかったのだ。
ちなみに、この銀ジャケ
就職が決まり福岡を離れる時、ロッキングチェアのマスターから「そいば俺に売っちゃらんや」と乞われた。
毎日着続けてボロボロになったジャケット。洗濯した記憶もない^^;)
これからお金を稼ぐようになれば、着る機会も減るだろう。
遠距離バイク通勤していたマスターは「通勤にちょうどよかごた」と言っていたが、忘れ形見的な意味かなと推察して2つ返事で譲った。
今でも時々「あのジャケットどうなった?」と聞いてみたくなるが、まだ実現していない。
山頂でサトウ君と話し込んだのは5分程だったと思う。
ここからは"三瀬の怖い下り"
かっとんでいった黒いRZ250を見たこともあり、僕らは「気をつけていきましょう」と声を掛け合い、連なって走り出した。
サトウ君は"青い流星"RZ350に敬意を表したのか「先に行ってください」と先頭を譲ってくれたが、僕としては後ろを走るほうが気楽だった。
ゆっくり安全に走るという命題があるものの「RZ350のライダーとしてみっともない走りはできない」という無駄な見栄が僕を緊張させた。
だがスピードが出せない下りでは、ハングオンどころかリーンインもムリ。下手するとへっぴり腰のリーンアウト。
「RZ350の乗り手にしては下手だな」
と思われていないかヒヤヒヤしつつ、つづら折れのコーナーを無事こなして、5つめの右コーナーに差し掛かった時だ。
僕らは眼前に広がる光景を見て戦慄した。
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