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2022年11月12日 (土)

曙荘に高野が連れてきた見知らぬ来訪者

曙荘に来て一年が過ぎ、季節は夏を迎えていた。
大学は7月初旬から夏休みにはいり、前期試験が始まる9月初旬まで、2ヶ月ほどつづく。

大学1年の時は、この期間を帰省して佐世保でアルバイトをした。
百道荘の仲間は全員そうしていたし、僕にはお金が必要だった。
当時まだ福岡市営地下鉄は工事中で、繁華街の天神に出る手段は西鉄バスしかない。
日ごろの移動手段として、遊びの行動範囲を広げるため、僕には自前の交通手段が必要だった。
ただし、苦学生の僕にはクルマなど夢のまた夢。
駐車場や車検などの維持費がかからず、ペーパーテストのみ実技なしで免許が取れる原付バイクを買うことにした。

9時から15時までは、佐世保郵便局で郵便配達。時給462円
16時から22時までは、玉屋の道路向かいにあった玉屋ビヤホールでボーイ。時給450円
朝9時から夜10時まで、2つのバイトを掛け持ちして、目標のバイク資金を貯めることができた。


曙荘暮らしとなった2年生からは、夏休みも帰省せず、レギュラーのアルバイトを続けていた。
両親は寂しい思いをしていただろうが、当時の僕は「親の心子知らず」
だから、一人暮らしの子供が滅多に帰ってこない気持ちはよくわかる。

その日、扇風機に当たりDS-25BⅡから流れる佐野元春を聴いていた時、珍しくインターホンが鳴った。

ドアの前に居たのは高野。
曙荘に入ってすぐ知り合ったが、彼とは学部も履修も違い、学内で見かけることはなくなかったし、高野の部屋で集まっていたのは最初の数ヶ月だけだった。
珍しいな・・
その訪問目的を予想してみたが、思い当たる節がない

「お前にお客さんぜ」
肩越しに高野のうしろを見やると、遠慮がちに初老の紳士が1人控えていた
ジャケットを着ているがノーネクタイ。神妙な顔つき
その顔に心当たりはない
誰かにどなりこまれるような悪いことをしただろうか・・
いや、それはない。
そもそも、高野が連れて来るというのが解せない

見ず知らずの家を訪ねた客、その客に心当たりがない主。
その事情を知っている高野が続ける

「なんか、息子さんが助けてもろたらしかぜ」
もしかして・・
僕の脳に記憶のランプが灯る


それは、2ヶ月ほど前のことだ
当時の僕は、週末に遊ぶ友達もなく、行きつけの喫茶店も見つかっていない。
どうしようもなく暇を持て余した時は三瀬を攻めに行った。

「三瀬を攻める」
福岡・佐賀にお住まいのライダーであれば、この言葉の意味をご理解いただけると思う。
西南学院大学がある西新から佐賀市を南北に貫く最短ルート・国道263号線(起点は荒江交差点)は、県境の三瀬峠を超えていく。
福岡側はタイトなショートコーナーのつづら折れ
佐賀側は勾配がきつい高速コーナーがつづく

技術が低く、度胸もない僕は福岡側の上りが好きだった。
次々にコーナーがやってきて、加速・減速の繰り返しが楽しいし、上りならばコケても怪我が少ない(幸い、三瀬でこけたことはなかった)
一方、下りは怖い。制動を誤ればコーナー先の土手につっこみ大怪我になる。
福岡側から三瀬を攻める僕にとって「行きはよいよい帰りは怖い」である。

その日、三瀬峠の頂上にたどり着いた僕は、県境の看板の脇でひと休みしていた。休憩所として整備されているような場所ではなく、路肩にバイクが数台停められる程度の広さ。自販機もない。
そこへ1台のバイクが来て止まった。

「350(さんぱん)いいですね」
大抵のライダーは僕のRZ350をみて「やっぱり速いですか?」と聞いてくる。
それに対しては、マシンは速いんですけど、乗る側の腕が追いつかないですと自虐的に言うのがお約束。事実だから仕方がない。

なかには「リッターどれくらいですか?」と燃費を尋ねる人もいた。
子供の頃から、目の前で起こる出来事は何でもデータを取ってしまうのが悪い癖の僕は、RZ350の燃費もこと細かに記録していて、ツーリングで一番伸びた時15kmもあったんですが、街乗りだと8とかですね。と詳しく答えた。

何かを質問されると、求められていないことまで言ってしまうのも僕の悪い癖だ

コロナ禍で三年ぶりのさとがえり(目次)

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