先輩から後輩へ 代々伝わる「モテるテーブル」
曙荘への引越が終わった次の日
僕がアパートに引っ越したという噂を聞きつけて「ちょびっと」の2学年先輩である清原さんがテーブルを持ってきてくれた
テーブルと言っても食卓として囲めるほど大きくはなく、喫茶店でゆったり2人が見つめ合う席に設えてあるようなものだ
新品ではなく、清原さんもそのまた先輩から引き継いだ「ちょびっと」に代々伝わるテーブルらしい。
当時のアルバム(DPEプリント)に、清原さんがテーブルに腰掛けてドヤ顔で映っている写真がある。
写真には僕が書いた「このテーブルを引き継いだ者はモテる」というキャプション
清原さんが語ったのを書き留めている。
このテーブルを使っていた人は代々モテているらしい。
自慢なのか強圧なのか知らないが、自分を「モテる」といって憚らないのがスゴイ。
確かに周りでは、清原さんはモテると言われていた。
だが、僕にはその理由がよくわからなかった。
「モテる理由」を理解するのは、20歳という年齢ではまだ無理だったのだと思う。
テーブルにモテる魂が宿るとは思えないし、処分に困っただけだろうという気もしたが、後輩という立場上「それは、あやかりたいですね」くらいのことは言ったと想う。
「モテるテーブル」はアンプ、プレーヤー、カセットデッキといったオーディオ機器置き場となり、来訪した女性と見つめ合う場所にはならなかった。
テーブルは大学を卒業する時に処分したと思うが、僕がもてる伝統を誰かに引き継いだのかは記憶が定かでない。
曙荘は各階4部屋2階建て、合わせて8戸の賃貸アパート
6畳一間なので、独身世帯ばかりだったと思われる
一階の一番奥には百道荘で一緒だったK
あとの3部屋にどんな人が住んでいるかは知らない。
ただ、一度だけ真下の部屋を訪れたことがある。
ある日、夜も更けた頃、もわーっと生暖かい空気が部屋を包んだ。
廊下に出てみると、階下から大量の蒸気が上がっている。
ただ事じゃないと一階に降りてみると風呂場から「ぶくぶく」と音が聞こえた。ガスで沸かす風呂が沸騰しているのだ。
躊躇せずドアを強くノックすると、寝ぼけた体の男が出てきた。
恐らく風呂を焚いたまま、寝落ちしたのだろう。
その男との会話はこの一度きり。翌日に「昨日はどうも」と菓子折りが届くことはなかったし、そんな期待もしていなかった。
端っこにある階段を上がって2部屋めが僕の部屋
手前のとなり部屋に住んでいる人とは、廊下ですれ違ったことはあるかも知れないが、互いに交流はない。ということは、引越の挨拶に行ってないということだ。
「都会ではとなりに住んでいる人の顔も知らない」
ということは、1980年代において既に世間の共通認識だったので、なんの疑問も感じなかった。
しかし、ひょんなことから、奥に住む2人とは友達になる。
2つ隣りに住むヒロミちゃんと、隣の高野だ。
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