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2022年12月21日 (水)

病室に見舞いにやってきた事故相手から説教される大学生

当時、原付にはヘルメット着用義務がない。
ノーヘルで走っていた僕は、軽トラにはねられて、バイクから放り出されたあと、2回転くらいして交差点右前方の電柱で頭を打った。

打ちどころが良かったか悪かったかを10段階で言うならば、悪いほうから3くらいだろうか。
今も頭にはその時の傷跡が残っていて、散髪に行くと「円形?」「ここ生えてこないね」と言われている(それはそれで、失礼だと想っている)


病室のベッドに横になっていると、青果店の佐藤さんがやってきた。
果物バスケットを手に抱えていたので、事故相手の運転手だとわかった。
彼は開口一番、こう言った。

「お互いに、注意不足ということもあったからね。これからは気をつけんばね」

一見温厚そうにみえる佐藤さん。物腰は落ち着いているが、言っている内容は説教ともとれる。
意外な言葉に身を固くした僕は、こう考えた

君にも非があったと印象付けたいのだな
世間知らずの学生だから、言いくるめられると思っているのか
今後の補償交渉を有利に進めたいのだろう
あるいは、誰かから「絶対謝るなよ。非ば認めたら負けばい」と進言されたのかも知れない

ロッキングチェアのお客さんの雑談で「交通事故にジュウゼロはない」という話を聞いたことがあった。
追突の場合は加害責任が後続車のジュウゼロ(10:0)もあるが、交差点の出会い頭の場合、徐行側の運転者にも一定の非が認められるということだった。

「そちら側が一時停止の交差点ですよね」といった反論はしなかった。
彼が非を認めない以上、どちらにどれくらいの非があるかは、警察に判断してもらうしかない。
ここで反論する必要はない。
佐藤さんが帰るまで、僕は一切口を利かず無言の抗議を貫いた。


夕方には、スズキのおばちゃんが着替えを持って来てくれた。
僕が一人暮らしだから困っているだろうと、新品の下着を買ってきてくれていた。
「ごめんね、おばちゃんがバイトば紹介したけん、こげんことになって」
そげんことなかよ、僕の方こそ仕事に穴開けてすみません。と詫びた。
僕は結局、この歳になるまで、この時のご恩を返していない。

今回の西新散策でロッキングチェアの近くを歩いたが、おばちゃんの家はわからなかった。


面会時間を過ぎた頃、静まり返った廊下から、騒々しい一行の声がした
すぐに、佐世保の家族だとわかった
「***号室はどこね」
「あ、ここここ」
父と母、姉もいたような気がする(今、電話して聞いたら記憶が合っていた)
父が仕事を終えてから、来たのでこの時間になったのだろう

この時、僕は少しショックを受けた
家族が皆、楽しそうだったのだ
入院している家族を見舞うという経験は、家族にとって初めてで高揚感があったのだろう
その日は個室だったこともあり、周りに気兼ねなく話せるということもあり、皆の声はトーンが高かった

事故に遭ったけが人に、もう少し心配そうにするもんやないと?
そんな恨み言を言ったような気がするし、心で思っただけの気もする。


当時、原付で任意保険まで入っているような人は周りにいなかった。
先方との示談は、知り合いの保険代理店のおじちゃんが交渉役を買って出てくれた。
交渉は半年に及んだ後、示談金が振り込まれた。

これには、後日談がある。
その年の暮。いつものように信長本陣(焼き鳥屋)でバイトに入っていた時のことだ。
座敷に通された御一行のなかに、見覚えのある顔があった。
青果店の佐藤さんだ。
いらっしゃいませ! 僕がおしぼりを持っていくと、佐藤さんも僕に気づき目を伏せた。
その後、キャベツや焼鳥を何度か運んだが、互いに話しかけることはなかった。

コロナ禍で三年ぶりのさとがえり(目次)

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