人生で数少ない号泣「バカヤロー」と叫んだ壱岐の夜
壱岐は福岡・佐賀県の北に位置する玄界灘に浮かぶ島。壱岐・対馬ともに長崎県に属する。
その夏、ちょびっとの夏合宿は、二年越しで壱岐にやって来た。
前年は出発当日に台風が直撃。博多発の船便が欠航したため、急遽、行き先が玉名(熊本県)に代わった。
1年生部員に玉名出身者がいて、その場で決まり、西鉄電車に乗り込んだ。
後日、部員が投稿した合宿の写真が「シティ情報ふくおか」の「ラメカメラ」に掲載された。
「ちょびっとのメンバー、変わり身の速さがすごい」
ちょびっとは、版元のプランニング秀巧社と親交があり、親しみをこめたキャプションが添えられていて、嬉しかった。
二年越しの壱岐
民宿に泊まり、昼はドライブや海水浴
「合宿」なので、薄味のウニメしの夕飯を終えると、編集ミーティングにはいる。
この日の議題は「9月に発行するか」だ。
ちょびっとの発行は春・夏・学際前の年3回と決まっていた。
編集会議から配布までがおよそ1ヶ月なので、本づくりの3ヶ月と学際の準備以外は、休部状態だった。
その夏休みは自動二輪(中型)免許をとるため福岡に残る予定だった僕が「夏休みを使って一冊つくりたい」と提案した。ただ、一筋縄ではいかない予感はあった。
前月のミーティングでは「50円に有料化」が却下されていたからだ。
いつも、0円配布しているものを50円とろうという提案だ。
本造りに燃える部員は、お金をとることで責任が生まれ、より質の高い記事をめざそうと考えた。
将来、出版社(当時まだ版元という言葉は知らなかった)への就職を目指していた僕もその一人だ。
しかし、大勢の意見は違っていた。
「今まで通りでやりたい」
「責任が発生するのはイヤだ」
「お金とったら、売れない」
見識が浅い僕は、反対派の「のんびりムード」が情けなかった。
「やる気がない」ことは悪だと考えていたのだ。
(この感覚はサラリーマンになってからも長く続いた)
今ならば、有料化することで生まれる金銭授受の手順や、税金の問題などが頭をよぎるだろうが、その時は「50円すらとれないモノをつくってどうする」と頭に血が上った。
さて「9月号発刊」の賛成は(僕が勝手に親友と想っていた)熊本、後輩の気田と的場の4人。
残りの30人ほどが静観、または反対ムードだ。
幹事(代表者)のイバラキさんは、大勢をみて消極的な姿勢をみせている。
このままではマズイと想った僕は、次の一手に出る。
やりたい人だけでやらせて欲しい
時間がとれる人、作りたい人だけで作りたい。皆には迷惑はかけない・・
ということだが、これには「それは違うっちゃないと?」「仲間ハズレにされるみたいで寂しい」という意見だった。
不穏な空気のなか、ミーティングが2時間ほど過ぎた時、幹事のイバラキさんが言った。
「やっぱ、みんなで作ってきたけん。今回は諦めてくれ」
多数決になれば否決は確実で、今ふうにいえば「分断」の遺恨が残る。
彼は自ら、悪者役を買って出たのだろう。
だが、若かった僕はそう想わなかった。
ミーティングを終えると、僕ら4人は副幹事のモリワキさんに誘われて浜へ出た。
モリワキさんは、片岡義男の小説を地で行くハードボイルドな先輩。
僕が悩んでいる時によく声をかけてくれて、男としてのあり方を教えてくれた。
「これも、人生ぜ、モト」
口数少ないモリワキさんの言葉を聞いていると、だんだん悔しくなり泣けてきた。
イバラキのバカヤロー
海に向かって叫んだ。
たぶん、叫ばなくてもよかったと思うが、叫ぶことで僕の気持ちを仲間に伝えようと考えていた。
昨今は、映画を見ただけで「号泣」する人がいるようだが、人は人生のなかでそれほど号泣しない。これが人生2度めの号泣だった
オレたちだけでやらんや?
壱岐から戻った翌日、熊本の下宿を訪れ誘った。
「あぁ、いいよ。どうせ、バイト以外ヒマしとーけん」
その足で、2人でバイクを連ねて気田、的場を訪ねる。
(下宿に固定電話を引いていなかったので、連絡手段は「訪問」しかなかった)
彼らも2つ返事で賛同してくれて、4人の制作チームができた。
副幹事という立場もあるので、モリワキさんには声をかけないことにした。
誌名は「Seinan Press」 無料 発行は2000部と決めた
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