救助の御礼にもらったデパート商品券で買ったのは
高野の背後に、初老の紳士が立っていた。
まさかと思っていた、学校名と名字だけを頼りに学校に来られたのである。
空振りを覚悟で、それでも礼を尽くそうという真摯さ。
そこに偶然居合わせた高野が、案内してくるという親切さ。
高野は学生証をもらったら飯塚にとんぼ返りする予定を変更して、曙荘までスズキさんのお父様を案内してきていた。
「その節は、息子が大変お世話になりました。お陰様で元気にしています。足は元通りに治るということですが、今はまだ歩けんので病院で寝たまんまです」
そして、息子さんと同年代に当たる僕への親心でこう続けた。
「まぁ私が言うともなんですが、バイクは気をつけてください」
僕は神妙な面持ちで聞き、ご厚情に礼を述べた。
これは心ばかりですが・・
きたーーーーーーーーーーー
とは想わなかった(当時、そういう表現はない^^;)
差し出された茶封筒を受け取るわけにはいかないと思った。
救護したのは僕一人じゃないですから
ここは標準語で丁寧に応える。
「いや、ばってんが他の方は名前もなんもわからんし」
スズキさんのお父さん、引く気配がない。
そこに、傍らで聞いていた高野が割って入った
「今、来る途中に聞いたばってん、せっかく訪ねて来らっしゃったちゃけん、お前が代表ってことで受け取ってあげたらよかやん」
僕は子供の頃から他人の厚意に甘えることが苦手で、厚意を察すると逃げ隠れするようなところがある。
考えてみれば、高野の言うとおりだ。
お礼の気持ちを胸にはるばる出かけて来て、奇跡的に相手の元にたどり着いたと想ったら「御礼は要りません」では悲しい。
厚意を受けることも善意だ
即座に前言を翻し、ありがたく受け取ることにした。
学生だった。いや、ただ常識がなかった?僕は「よかったら上がってください」とお茶を勧めることもせず、お父さんは茶封筒を渡すと帰っていった。
封筒には岩田屋の商品券が入っていた。
岩田屋というのは福岡は天神の一等地に店を構える老舗デパートで、キャンパスがある西新に支店があった。地下には食品売場(当時「デパ地下」という言葉はない)があったが、苦学生の僕には縁がない場所だった。
地下の食品売場で肉や野菜を買おうか・・・
1日の食費が500円の僕に、そんな考えがよぎったが、せっかくだから記念に残るものをと考え直し、初めてデパートで服を買った。
今も写真アルバムの中に、青いトロイのポロシャツを着てRZ350と映った写真がある。生涯の中でも特別なお気に入りの一枚だ。いつも、この写真を見ると思うことがある「この頃は髪が多いな」と。
高野が演出した「三瀬峠と曙荘の奇跡」により、スズキさんのお父様は感謝の気持ちを伝えることができたし、僕は得難い経験ができた。
高野には、僕にはない浪人という人生経験があり、他人の意見によく耳を傾ける彼の言葉には、一瞬にして考えを改めさせる力がある。
彼の周りに人が集まるのを見るにつけ、僕はそんな彼の存在感が羨ましかったが、その謎を解くことはできなかった。
高野との思い出はここまで。
この話を書いていて、他にも思い出したことはあるが、それは書けそうにない。
つづいて、ヒロミちゃんとの思い出をひとつ書いておこうと思う。
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