雀荘史上初! 麻雀を打たないで本当に働くアルバイト
ロッキングチェア跡地には新たな店ができていたが、営業時間外のようだった。
後日、AVENUEのマスターご夫妻に見せようと、写真をパチリ。
こんなところで写真を撮っていると、地上げ屋に間違われそうなので、足早に202号線へ出る。
ここからは西新方面へ東向きに戻る。
かつて、友達が住んでいたマンションは今もそこにある。
かつて住んだ上五島を訪れた時は、1軒の例外を除いて友人宅は居住放棄の廃墟となっていた。
一戸建てはその家族が居なくなれば廃墟になるが、マンションは区分所有しているためそうはならない。住人が高齢化するなかで建て替えは難しく、そのマンションも外壁がかなり草臥れていた。
その先の祭場で一年ほどアルバイトをしたことがある。
僕の職場は2階の雀荘(じゃんそう)だった。
私の記憶が確かならば・・ここもロッキングチェアのお客さんの紹介だった。
雀荘に一度も立ち入らない人生があると想う。
あなたはどうだろうか(返事は要らないが)
テレビドラマや映画では時折登場する舞台だが、実際に行く人は少数派だろう。
僕も生涯、雀荘に立ち入ることはないはずの人生だった。
その理由は、大学に入る時、姉から言われた助言にある。
「麻雀だけは覚えたらいけんよ。うちの大学でも、ちゃんちゃんことジャージ着て一日じゅう雀荘にこもっている人がおるけど、あれはなんにもならん。時間がもったいない」
その言いつけを守ったというより、僕はその意見に賛同した。
サラリーマン人生なかばには「麻雀仲間」というつながりを羨んだこともあったが、あれは一定の労働をした後の息抜きである。
親の仕送りで暮らしている大学生がすることではない。
それによって多くの時間を失うことも、僕には「ムリムリムリムリ」だった^^)
僕は雇い主から「本当に働く人が来た」と歓迎された。
なにせ、雀荘史上初の「麻雀を打てないアルバイト」だったのである。
他のアルバイト達は、麻雀を打ちながら働いていた。
常連さんから「兄ちゃん、ちょっと入って」と言われては、共に卓を囲む。
他の卓から「兄ちゃんカップラーメン」とオーダーが入ると「ちょっと、待ってもらっていいですか」とやっていた。
遊びながら、お金がもらえるということで、このバイトはなかなか空きがでないと聞いた。
雀荘の一日は夕方から始まる。
店主に挨拶してカウンターにはいる
お客さんが来ると、大学ノートに時間、人数、名前をつける
あまり自分では飲みたくないまずいお茶を出す
時折「コーヒー(インスタント)」「カップ麺」といったオーダーがはいると、お湯を入れて提供する
祭場のキッチンから取り寄せる食事メニューもあった。
お客さんが帰ると、卓と椅子を掃除・整頓。時おり麻雀牌を拭く。
メイン業務は灰皿の取替。タバコ全盛の時代である。
麻雀を打ちながら働くバイトたちは、掃除や灰皿替えをやっていなかった。
それが「本当に働く人は初めて」と驚かれた要因だ。
19時頃には店主が「賄い」を持ってきてくれる
メニューはカレー、ハンバーグの日替わりに固定されていたが、食費1日500円の僕には、これがありがたかった。
「兄ちゃん、役満出た」
と声がかかると、カップ麺を作って「おめでとうございます!」と持っていく。
お正月には家族と花札をして育った僕は、七短がちょっとハイグレードになったようなものか?と想っていた。
誰かに役ができるということは、他の人には悲劇であり、そこに「おめでとう」もなんだか変だなと想っていたが、めんどくさい学生と想われたくなかったので黙っていた。
バイトは常にワンオペ。
フロアには14卓ほどあったが、それが満席になることは滅多にない。一人で十分回せる仕事量だった。
大半の時間はカウンターに座っているだけ。
他のアルバイトは卓に入るくらいなので「暇な時は、何をしててもいいよ」と言われていた。
スマホもパソコンもない時代だ。
そこで勉強すると嫌味なので、もっぱら本を読んでいた。
時給はさほど高くなかったが、食事は出るし、本は読めるし、とてもおいしいアルバイトだったと記憶している。
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