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2023年2月 1日 (水)

石原慎太郎さん 一周忌

2022年2月1日、作家であり東京都知事を務めた石原慎太郎さんが亡くなった。
石原さんの功績が数あるなかで、僕が特に記憶していることが4つある。


【1】首都移転を防ぐ

メディア露出が少なく、あまり知られていないが、日本の首都*は東京から何処かの地域へ移転することが法律で決まっていた。
日本は法治国家なので、ものごとは法律の後ろ盾を必要とする。
法律に規定されたことは、そのとおりに遂行されなければならない。

*日本の首都は法制化されていない。従って正式な首都はない。東京は事実上の首都

法律で決まった移転の受け皿として、全国で4地域が名乗りを挙げ「首都招致合戦」を繰り広げるなか、唯一首都移転反対を唱えたのが東京都。
石原さんは都庁内に専門チームを置き、自らも「国会等の移転に関する特別委員会」に参考人として出向き意見を述べた。
この特別委員会に出席した参考人の中で、首都移転反対を述べたのは石原さんと僕の2人だけ。
石原さんは僕を知らないだろうが、僕は首都防衛の同士だと勝手に想っている^^;)


【2】尖閣諸島の購入

1895年
日本(明治政府)が領土として沖縄県に編入

1978年
石原慎太郎衆議院議員を中心とするグループ(青嵐会)が魚釣島に灯台を建てた

1992年
中国が領海法を制定。尖閣諸島を中国固有の領土とした

2012年4月16日
石原慎太郎東京都知事が東京都が尖閣諸島の土地を所有者から購入すると発表
尖閣諸島購入のために東京都に寄せられた寄付金は14億円を超えた

2012年9月
政府(民主党 野田政権)が地権者から3島(魚釣島、北小島、南小島)を購入した後、国有化を閣議決定


【3】マラソンブームの発端となる東京マラソンを立ち上げ

2003年に東京マラソンを構想を発表。東京都と日本陸連の協力で2007年に実現した。
東京マラソンの成功。特に商業的な成功により、全国の政令市がこれに続いた。
長年、あまり「陽が当たらない」レースを走っていたランナーには「陽の当たる」レースが増えた。
それまで500mすら走ったことがなかった人も、42.195kmを目指して走り始めた。
運動不足の人が減る→病気が減る→健康保険の負担が減る
というのは自明であり、市民ランナーの数を増やした石原さんの功績は大きい。


【4】東京2020(オリパラ)招致

2005年、2016年夏季大会の招致を表明(リオに敗れる)
2011年、スポーツ基本法成立を受けて2016年夏季大会招致を表明
国政復帰のため2012年に都知事を退任。猪瀬直樹氏に後を託した
2013年、招致決定

安倍晋三さんが亡くなった時、テレビ各局は五輪招致にまつわる映像を使っていたが、石原さんが亡くなった時、五輪招致の発起人的存在であり功労者であるという論説は見かけなかった。


現代社会では、批判・評論する者が「説明責任を果たせ」「エビデンスを示せ」と、小うるさい。
非難を恐れず、嫌われる勇気を持つことが難しい時代だ。
確固たる信念に基づき、明快な言葉で端的に話す石原さんは、とても清々しかった。

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