45年ぶりに再会した、魚肉ソーセージで意気投合した同級生
三泊四日の里帰りは三日目
前夜、トラスタからの帰りが遅かったので、午前中は家でゆっくり過ごす
お昼すぎ、白いシャツと礼服の黒いズボンに着替える。
前ボタンのシャツに腕を通すのは、およそ1年ぶり。
行き先は本願寺。この里帰りの大義名分である母の七回忌法要である。
十八で実家を出たあと、お盆には欠かさず里帰りをしてきた。
それが2020年にコロナ禍で途切れると「帰る理由」が必要になった。
地球からあらゆる伝染病が消滅することは考えづらく、これから先も「帰る理由」で思考が立ち止まることが続くだろう。
親戚は「いつでも帰っておいで」と言ってくれるから、それは現代を生きる人が抱える個人的な課題である。
読経のあいだ集中できない時間があった。
集中できないというのは、思考がはいるということだ。
この一年、瞑想をしてきたのにこの様かと情けなかった。
思考が消えないので、別の思考で打ち消すしかなくなり、母と暮らした思い出のシーンを浮かべた。
しばらくして、静かに波打つ川面が浮かんだ
読経が終わると、僧侶から三途の道の話しを聴く。
先祖が行路を照らしてくれている。それを確認するイベントが法要である。
手短に定義すると、こういう話だったと想う。
あっという間の三日間だった。
法要を無事終えることができたし、思い描いていた通りに楽しむこともできた。
次に帰ってくるのはいつになるかわからないけれど、またここに帰ってきたい。
親戚から車を借りて、おでかけ。
佐世保に到着してから48時間が過ぎようとしているのに、まだ四ケ町に行っていない。
まず、初めにヤマト運輸へ。
復路の手荷物を減らすため、最低限度の荷物を残して自宅へ先出し。
お昼すぎに佐世保を出すと、東京には翌々日の午前指定ができる。
里帰りのルーチンだが、三年ぶりということもあって、ひとつやらかしてしまった(後述)
ヤマト営業所を後にして、当然ながら三年ぶりとなる「カフェこもれび」へ
横尾町の山奥?にある、同級生が経営する古民家喫茶。
初めて行った時は、さんざん迷ったが、今回はすんなりと着くことができた。
僕も一口(クラウドファンディング)出資した駐車場に車を停める。
玄関をがらがらと開けて、カウンターへ進み、アイスコーヒーを注文
特に会話も始まらないので、iPhone13に目を落としていると、マスターが素っ頓狂な声を挙げる
「あれ?motoやないと?わからんやった~」
マスクを着けていると、わからないらしい。
確かにそうだろう。
その日、会うことがわかっていない限り、目元だけの特徴では人は判別し辛いのだ。
コロナ禍に入って3年にして、ようやく知った。
世の中の多くの人はとうに知っていたことだろう。僕があまり表に出ないから気づかなかったのだ。
しばらくすると、マスターに来客があった。マスターが僕に言う
「あれ?motoはYとは接点ないと?」
来客は、同級生のYだった。
高校1年の時、入部した弓道部にYがいた。
Yは体格、人柄、頭脳という高校生にとってもわかりやすい三要素に秀でていて、僕はYが僕らの代の主将を務めるだろうと踏んでいた。
福石の弓道場で県北大会があった時、彼とお昼を買いに出たことがある。
駄菓子屋のようなお店で、互いにサンポー焼豚ラーメンを握りしめた時、僕は傍らにあったMARUHA魚肉ソーセージに目を留めた
これ、入れるのよくない?と僕が言うと「いいねぇ」とYも応じた。
それが彼との思い出のすべてだ。
彼は一学期が終わる頃、退部してほかの部に移っていった。それ以来、口を利くこともなかったので、実に45年ぶりということになる。
当然ながら、互いの風貌は大きく変化している。
マスクの有無に関わらず、お互いに言われなければわからないし、言われても実はよくわからなかった。別の人だと言われたら、あぁそうなのかと想ったかもしれない。
四ケ町ですれ違っても、どこかの知らない人の一人に過ぎなかっただろう。
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