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2023年2月 8日 (水)

新たな自由の手がかり

3年ぶりのAvenue
「いらっしゃいませーっす」
マスターと目が合う。彼のかけ声は、ロッキングチェアの頃から寸分も変わらない。
もうあれから40年が過ぎているのだが、マスターは歳をとっていないように見える。

いつも座っているカウンター奥の席には先客があり、やむを得ずカウンター中央の席に座る。
ランチタイムまっただ中のマスターは厨房で忙しそうにしている。

カレーば。ダッチはあると?(今はやっていない)だったらアイスを
注文をとりにきた奥さんに注文をする
奥さんも40年、歳をとっていないように見える^^;)

しばらくして厨房からマスターがでてきて素っ頓狂な声をあげる
「なんや、motoやないか?来たとやったら言わんば」
いやいや、さっき目が合ったし。
「マスクしとったら、わからんやった~」
今日この時間に来ることは、数日前に電話したのだが・・


カレーの味は、学生の頃と変わらない
といっても、変わっていてもわからないだろう
「味が落ちた」とか「前のほうがよかった」とか人は時々、口にするけど、僕には味を記憶していて比較できる能力がない。

アイスを飲みながら、三年分の近況を話す
といっても年賀状は出しているので、それほど話題はない
マスターは歳とらんよねと、心のままを言葉にする。承認・感謝を含む言葉ならば、僕は口にすることを躊躇しない。
異性に対しては注意が必要だが、同性の場合は、想ったまま存分に言えるのがいい。

ランチタイムまっただ中のマスターは、あまり厨房から出てくることがなく、かつて、マスターに売ったYAMAHA銀ジャケットが、その後どうなったかを聞くのはすっかり忘れていた。


再び西鉄バスに乗り、全国唯一の通勤新幹線「博多南」へ
博多南線のダイヤは1時間に1本。次の発車まで隣接の商業施設で時間をつぶす。
アニメの中から飛び出したのかと、ドッキリするほど入念にコスプレした女子高生が立っている。何するでもなく、物憂げに壁を背にしているところをみると待ち合わせだろうか。彼女と待ち合わせするのは、いったいどんな人なのだろう。
興味はあったが、そこにいるのが悪いような気がして、早々に駅に戻る。


博多南駅は山陽新幹線の博多総合車両所に1本のホームが設けられている。
終点「博多」からの引き込み線を地元の足として活用するために、1990年4月1日、簡易な駅を設け、通勤新幹線博多南線が開業した。

少し早めにホームに上がり、新幹線を撮ろうと思ったが、隣の線に置かれたN700が視界を塞いでいた。
確か、前回きた時もそうだった。ホームからの撮影を妨げるための策ではないかと訝っている。

2001年撮影

入線してきた新大阪行きレールスターに乗り込む。
博多駅までは全席自由席。那珂川町から福岡市南区を横断して博多駅まで、300円で8分間の贅沢な旅。もっと、ゆっくり走ってくれてもいい


博多駅に着くと、改札横の払戻専用窓口へ
ダメ元で二重に払った運賃の取り戻しを試みる。
春日駅で手元に温存した証拠の切符を渡し、事情を話すと「佐世保駅と連絡をとります」と言ってくれた。
博多と佐世保、互いに忙しい駅員さんどうしの連絡だから、時間がかかるだろう。
飛行機の出発まで5時間。時間はゆっくりあるし、待つことも歓迎だ。

30分ほどで戻ってきた駅員さんはこう言った。
「後で佐世保駅から連絡がはいります。(買い直した切符は)手数料を差し引いて、ご返金することになると思います。切符を手元に残した判断は正解でしたね」


それでも、時間は十分にあるので三年ぶりの天神散策へ
特に当てはない。この三年で何か変わったかな?と歩き回る。
IMS(イムズ)、福ビル、天神コアがまるっと跡形もない。
特にIMSはわりかし新しいビルだったと思うから、少し驚いた。
「まんだらけ」はとうになくなっている

暗い照明が瀟洒な雰囲気を醸し出す素敵な通り、天神地下街に降りて、フタタを始点に大丸のあたりまで歩く。
昔はここが行き止まりだったが、今はさらに先まで伸びている。
ふくや天神地下街店で「味のめんたいマヨ」を購入すると、さらに探索する興味を失った。

少し早いけれど、福岡空港に向かう。天神駅のホームで「福岡空港」行きの電車を待っていると、佐世保駅からお電話をいただいた。
帰京した後(誤って荷物で送ってしまった)チケットを返送していただければ、返金しますとのこと。

復路は久しぶりに乗るスカイマーク
リクライニングを倒さなくても座り心地が快適なシート
キットカットとコーヒーが出て、特別なのりものに乗る満足感を味わえた


♪さがしていた自由はもうないのさ♪
 そう歌ったのは 1993年の佐野元春
 (The Circle)

コロナ禍後、初めての旅で僕は「新たな自由の手がかりを見つけたい」と旅日記の一行目に記した。
故郷というもうひとつの場所があることを確認できたこの旅を終えて、僕は自由は「何処にあるかな」とみつけに行くものではなく、日々の取り組みや工夫を積み上げて獲得するものだと考えている。

コロナ禍で三年ぶりのさとがえり(目次)

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